チョコレートを1.2トン食べました

本日2月14日は聖(セント)バレンタインデーである。その歴史はローマ帝国時代にローマ皇帝から迫害されたキリスト教司祭・ウァレンティヌスが殉教(宗教のために犠牲になること)した日である、と同時にその日はローマ神話で女性の結婚を司る神「ユーノ」の祝日でもあった。

このことから欧米では恋人に花やケーキなどを贈り、愛を伝える日となったが、日本ではその贈り物がチョコレートとなった。1970年代後半の時である。
本書の著者は医学博士でチョコレート研究家ではないのだが、小さい頃からチョコレートが好きで、その好きが乗じてチョコレートラベルの収集をはじめ30年にも40年にも及ぶのだという。

本書は著者のチョコレート人生(?)についてを綴っている。

一、チョコレートとのなれそめ
著者が生まれたのは昭和6年、ちょうど第二次世界大戦が始まったときのことである。当時のチョコレートは20銭、駄菓子屋のビー玉やメンコなどが1銭と考えると、その20倍にも及ぶほど高価なものだった。しかし母にねだり、小遣いをもらい、そして板チョコレートを買い、食したのが最初だった。

二、戦争とチョコレート
第二次世界大戦が激化し、それが大東亜戦争となり、日本でも物資が困窮を極めた。小学生の頃に食べたチョコレートだが当然食べられる状態になかった。チョコレートが食べられないどころか、飲食店ですら営業ができなかった。

三、チョコ坊、医学生となる
終戦間近の時、著者は医学専門学校に入った。戦争が終わるとまもなく、アメリカ軍による進駐がはじまった時、その進駐軍と取り引きし、久々のチョコレートを食した。そしてまたチョコレート人生が始まった。

四、うれし楽しの船医時代
専門学校を卒業し、船医になった。その船医人生のなかで様々な国にわたり、その国々のチョコレートを食した。チョコレートの中には甘美なものもあれば、まずいチョコレートにも出会ったのだという。チョコレートを食し続けて、いつしか仲間から「デザートマン」まで呼ばれるようになった。

五、船医の昆虫採集
船医生活の中でチョコレートのほかにもう一つの楽しみがあったのだという。それは小さい頃に楽しんだ「昆虫採集」である。世界各地を旅していることから日本では見られない虫もあったことから、小さい頃に育まれた好奇心がくすぐられた。

六、チョコレートを1.2トン食べた
戦争が終わり船医となってからは毎日のようにチョコレートを食べ続けた。約40年・50年もの間、毎日のように食べ続けてきた結果、本書のタイトルにあるように約1.2トンも食べたのだという。

七、楽しきかな、コレクション
毎日のようにチョコレートを食べ続ける傍ら、チョコレートラベルのコレクションを始めた。1970年の時である。
しかし本章ではチョコレートラベルの話ばかりではない。小さい頃から集めた昆虫もあれば、蛇やサソリのコレクションまでしていた。

八、チョコレートの起源
チョコレートの起源については4年前にとりあげた「チョコレート」と言う本が詳しいが、ここでは著者自ら研究したチョコレートの歴史について綴っている。

九、ココアブームがやってきた
今から18年前に「ココアブーム」が起こったのだという。みのもんた司会の「午後は○○ おもいっきりテレビ」で取り上げたことがきっかけである。ちょうど昼の時間帯であり、主婦層がこぞってココアを買い占めたことから、スーパーなどで「品切れ」が相次いだ。そのココアブームの背景と医学的な効能についてを、本章では分析している。

十、チョコレートにたいする誤解

「食べ過ぎるとニキビが出る」
「食べ過ぎると肥る」
「食べ過ぎると鼻血が出る。」

そういった話をよく聞く。しかし著者は医学的な立場から「誤解」であると断じている。

十一、日本のチョコレート誕生物語
日本にチョコレートを伝来し、広めた人物について紹介している。「森永チョコレート」でおなじみの「森永製菓」の創設者である森永太一郎、彼と名コンビを組んだ松崎半三郎、ココアブームを牽引した竹内政治を取り上げている。

十二、チョコレート人物伝
著者はチョコレートを通じて様々な人物と関わってきた。チョコレートを愛し、食し、製造する方々と交友を持つ、まさに「チョコレートに愛し、愛された」と言われても過言ではない。

著者ほどチョコレートは好きではない、毎日のように食べることは難しい。しかし1年に1回は女性が男性にチョコレートを送るバレンタインデーである。「メーカーの策略」というイメージは拭えないのだが、日本にとって「チョコレートのある記念日」として改めてチョコレートを食し、ハマってみてはどうか。

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