シリーズ「『貞観政要』を読む」~6.巻五<仁義><忠義><孝友><公平><誠信>~

<仁義第十三>

巻五の最初は、人間としての根本の一つである「仁義」とは何かについて君臣と臣下が議論を行ったところです。

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貞觀元年,太宗曰:「朕看古來帝王以仁義為治者,國祚延長,任法禦人者,雖救弊於一時,敗亡亦促。既見前王成事,足是元龜,今欲專以仁義誠信為治,望革近代之澆薄也。」黄門侍郎王珪對曰:「天下彫喪日久,陛下承其餘弊,弘道移風,萬代之福。但非賢不理,惟在得人。」太宗曰:「朕思賢之情,豈舍夢寐。」給事中杜正倫進曰:「世必有才,隨時所用,豈待夢傅説,逢呂尚,然後為治乎。」太宗深納其言。
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長く統べることはなかなか難しく、時には「戦乱」が起こることもあります。その戦乱により、統治が難しくなることも多々あります。その難しいときにこそ賢臣を持ち、君主もその賢臣をいかに使い、助けにするかによって戦乱に耐え、民たちを疲弊させず、かつ幸福になると言います。

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貞觀十二年,太宗謂侍臣曰:「林深則鳥棲,水廣則魚遊,仁義積則物自歸之。人皆知畏避災害,不知行仁義則災害不生。夫仁義之道,當思之在心,常令相繼,若斯須懈怠,去之已遠。猶如飲食資身,恒令腹飽,乃可存其性命。」王珪頓首曰:「陛下能知此言,天下幸甚。」
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「林が深いとき鳥が来て住み、川の流れが大きいときは多くの魚が集まって泳ぎ、人の仁義道徳の行いが積もった時、天下は自然の流れに従うものである。」

この言葉の後には、民や王としてどのようにあるべきかを記しておりますが、川の流れも林の深さも自然がつもりに積もって育まれた結果であり、君主が仁義道徳を行うことを積み重ねることによって天下太平の世に育て、守っていくことができるとあります。

「継続は力なり」ということの喩えとしても挙げられます。

<論忠義第十四>

「忠義」について説いたところです。

「忠義」とは、

「主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま。」「goo辞書」より)

と意味づけられております。

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貞觀十一年,太宗謂侍臣曰:「狄人殺衛懿公,盡食其肉,獨留其肝。懿公之臣弘演呼天大哭,自出其肝,而?懿公之肝於其腹中。今覓此人,恐不可得。」
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忠義と語りたいところですが、この漢文は非常に生々しいものです。ある王が敵に殺され、八つ裂きにされるも、内蔵だけは残したそうです。後で駆けつけた臣下や王を思い、自分の中に王は生きている、ということを願い自ら体を裂き、残った内蔵を自らの体の中に閉まった、と言われています。

<孝友第十五>

「孝」という漢字があるように「親孝行」とは何かについて議論をしたところです。

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司空房玄齡事繼母,能以色養,恭謹過人。其母病,請醫人至門,必迎拜垂泣。及居喪,尤甚柴毀。太宗命散騎常侍劉泊就加寬譬,遺寢床、粥食、鹽菜。
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太宗における、代表的な臣下の一人である房玄齡は親に対する敬いの心は他の臣下以上に持っていました。あるとき継母がなくなったときには深い悲しみにつつまれ、そのあまりに痩せ衰えたというほどでした。

その痩せ衰え方はあまりにひどく太宗自身も心配し、他の臣下に慰めるよう命じたほどでした。

<公平第十六>

リーダーなどトップに立つ者は「公平」な立場で物事を考え、行動をすることが大切であると言われていますが、それを行うのはなかなか難しいことです。

「聖君」として誉れ高かった太宗でさえも、その「公平」について悩んだことはないと言われています。

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太宗初即位,中書令房玄齡奏言:「秦府舊左右未得官者,並怨前宮及齊府左右處分之先己。」太宗曰:「古稱至公者,蓋謂平恕無私。丹朱、商均,子也,而堯、舜廢之。管叔、蔡叔,兄弟也,而周公誅之。故知君人者,以天下為公,無私於物。昔諸葛孔明,小國之相,猶曰『吾心如稱,不能為人作輕重』,況我今理大國乎
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太宗が即位した当時の話です、太宗の身の回りの話ではないのですが、歴代の皇帝の中には即位した時から臣下の反発にあった皇帝もいました。

さらにその中には「公平」な立場でもって臣下を殺した皇帝もいました。

こう書いていると、残虐な印象をもってしまうと思いますが、上に立つ者は、自ら私情を排し、その私情を持つ臣下も許さず、えこひいきも行わず、常に自分の持っている「平等」の心でもって判断をすることが大切です。

<誠信第十七>

誠実であることと、信じることについて議論をした所です。

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太宗嘗謂長孫無忌等曰:「朕即位之初,有上書者非一,或言人主必須威權獨任,不得委任群下;或欲耀兵振武,懾服四夷。惟有魏徴勸朕『偃革興文,布德施惠,中國既安,遠人自服』。朕從此語,天下大寧,絶域君長,皆來朝貢,九夷重譯,相望於道。凡此等事,皆魏徴之力也。朕任用,豈不得人。」徴拜謝曰:「陛下聖德自天,留心政術。實以庸短,承受不暇,豈有益於聖明。」
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太宗は多くある諫言を受け入れ、自ら律し、倹約や功徳につとめるような政治を行い続けました。

それを行い続けることができたのも、もっとも多く諫言を行った魏徴のおかげであると、太宗は魏徴に対し感謝をしています。

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陛下聰明神武,天姿英睿,誌存泛愛,引納多塗,好善而不甚擇人,疾惡而未能遠佞。又出言無隱,疾惡太深,聞人之善或未全信,聞人之惡以為必然。雖有獨見之明,猶恐理或未盡。何則。君子揚人之善,小人訐人之惡。聞惡必信則小人之道長矣,聞善或疑則君子之道消矣。為國家者急於進君子而退小人,乃使君子道消,小人道長,則君臣失序,上下否隔,亂亡不恤,將何以治乎。
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太宗は武徳にも知性にも優れていたのですが、人を選ぶ目が欠けていました。

その人選のなかで魏徴は人について「君子」と「小人」っとを二つに分けております。

「君子」・・・人の良いところを見出し、取り上げる。
「小人」・・・人の悪いところを見出し、それを暴いて悪口を言いふらす。

その小人を退ける事が大切であるが、人を信用してばかりでは、そういった人も残すようになり、小人の浅ましい考えや意見を取り入れてしまい、国家がゆがみ、滅びへの道となるそうです。

上に立つものとしてどの人を選ぶか、ということを表しているのですが、自分自身が「君子」なのか「小人」なのか、を見直す機会と言える節です。

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魏徴上疏曰:臣聞為國之基,必資於德禮,君之所保,惟在於誠信。誠信立則下無二心,德禮形則遠人斯格。然則德禮誠信,國之大綱,在於君臣父子,不可斯須而廢也。
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この第十七の根幹に当たるところです。

「誠信」を立てることと、「徳礼」を持つことによって国を治める基礎となる事です。

「誠信」とは、
「まごころ。まこと。誠実。」「goo辞書」より)
ですが、

「誠」は誠実なこと、もしくは心構えのことを表しており
「信」は信頼・信用という熟語があるように人を信じることを指します。

これは「貞観政要」が初出ではなく、「論語」の時代からも言われ続けている心がまえです。

(巻六へ続く)

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<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」