民俗学、さらには日本の歴史の中で小さい子供、つまり「幼児」の歴史はあまり知られていない。むしろ歴史における「重箱の隅」といえるようなものともいえる。
しかし日本の幼児における歴史は解明され始めた。とりわけ大きな発見として、動物学者のエドワード・S・モースが日本に訪れた際に、西欧諸国と比べ、「日本は子供の楽園」とたとえた。西欧諸国では子供を無知を使ってしつけることがよくある光景だった。今の日本では幼児虐待とみられてしまうが。それに比べ、江戸時代の日本では子供に対して大声で怒鳴るものの、武器を使って暴力を振るったりすることはほとんどなかったという。
幼児たちの歴史はモースのいう「楽園」なのだろうか。それとも丁稚奉公があったように使役される立場として扱われてきたのだろうか。本書はその歴史を解き明かしている。
<法のなかの幼児>
「七つ前は神の子」
文字通りの意味であるが、七歳になる前の子供は「神の子」として崇められるべき存在であることを指している。この言葉の期限は不明であるが、幼児の歴史を考察するに当たってよく使われるものであるという。
とはいえこの言葉は「法律」として明文化した時代もあった。「七歳」という言葉が法律として初めて出てきた「養老律令」があるのだという。
<疎外から保護へ>
「神の子」と呼ばれる幼児であれど、民俗学を紐解いてみると、「捨て子」という言葉も出てくる。「育児放棄」として罰せられる行為であるが、かつては当たり前のようにあったのだという。「捨て子」そのものの歴史は「今昔物語集」の作品の中にあるほど古い。古代から江戸時代にかけては子供よりも大人が注目されていた時代であった。しかし文化は進化を遂げていく。江戸時代に入り、「捨て子の保護」などぞんざいに扱われる子供が保護を受けるようになってきた。その江戸時代から開国し、明治時代に入ったときにエドワード・S・モースが「楽園」と語った。
子供の保護はもはや当たり前となったのだが、未だに幼児虐待、もしくは育児放棄の事件が後を絶たない。時代は進化をしているのか、あるいは退化しているのかとさえ疑ってしまうほどである。そうした中で子供と歴史はどのように紡がれていったのか、その過去の道標が本書と言えよう。
コメント