「いい文章」ってなんだ?~入試作文・小論文の思想

私は書評で文章を数多く書いている。文章の量は多く、さまざまなことを書く。
書いていく中で「悪い文章だな」と思ってしまうことも多々あり、自分自身も「本当に投稿して良いのか」という疑問さえ起こしながら、毎日ブログにUPしている。

「いい文章」とは何か?

それは今、このブログを書いている自分自身にとっても永遠の課題のごとく問いかけながら、文章術に関する本も読み漁っている状況にある。
本書ではその疑問について「入試作文」や「小論文」の歴史とともに、「いい文章」の基準を考察している。

第1章「教養か、実用か?」
最近では「分かりやすい」「論理的な」文章が重宝されている状況にある。
確かに腑に落ちる、もしくはすんなり理解できる文章であるのだが、果たしてそれが全てなのか。そもそも「文章」とは何なのだろうか。
本章では「文章」そのものの位置づけがいかに変化をしていったのか、あるいは作文や「文章」そのものの「型」がいかに変化していったのか、本章ではそのことについて考察を行っている。

第2章「ありのままの「自分」を語れ!」
結局のところ文章そのものの根幹は、本章のタイトルの通りである。自分自身もこのように書評をしているのだが、本の中身について章ごとに、自分の思ったことをそのまま書いている。分からないことがあれば調べたことをありのまま書いている。
「分かりやすい」と言われたことはあるのだが、あくまで著作権に触れない範囲で、自分自身の思ったことを書いているので、「分かりやすい」を意識したことがない。

第3章「戦争と作文」
戦前の教育から「作文」という形で「書く」授業は存在した。その中でどのような書き方を教えられたのだろうか。本章では書き方だけではなく、「紙」と「鉛筆」の普及も含めて言及している。

第4章「小論文、登場!」
大学受験、あるいは大学の講義などで「小論文」を求められることがある。大学受験ではそういった試験を受けることはなかったのだが、大学の講義では小論文をもとめられることが度々あり、締め切り前にはいつも徹夜になるまで書いていたことを思い出す。
自分の考え方や主張を述べる文としてある小論文はある種の「適性検査」として扱われるようになってきた。

第5章「小論文幻想」
その「小論文」はどのようにして評価されるのだろうか。一例を挙げてみると、

・「読み書き能力」が身に付いているか
・受験生の主張と学校の考え方にソゴがないか
・特定の学問について十分な知識と考え方が備わっているか

と様々である。その小論文は根幹である考え方がしっかりしても、文章の組立がめちゃくちゃになったり、文章量が足りなかったりすると減点される、場合によっては不合格になることさえある。

第6章「ねばり強く考えるための小論文教室」
小論文教室は何を教えるのか、というと、文章として理解できる文章であることと、論文の題目を元に、自分自身で考えたのかを軸に添削をしているのだという。

「文体は思想の衣である」

哲学者・詩人であるルキウス・アンナエウス・セネカの言葉である。自分自身の文章も自分が思っていること、考えていることをありのまま記している。その文章を書くためには様々なことを考え、それを生み出すことで、自分自身の「文章」を表すことができる。文法や「型」はそれをきれいにするための「整理」に過ぎない。