色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

「喪失」から「転換」へ、そして「没個性」へ―

本書は過去の村上春樹作品の「集大成」と「現在」を描いているような印象があった。
「没個性」は「色彩を持たない」と言うことにも言うことができる。いや、むしろ多崎つくるにいる周りの人物が、様々な「色」を持っていることにより、「色」が重なり合うことによって無色透明の「色彩のない」存在になったのかもしれない。

「喪失」から「転換」、それは自分自身の「死」の意味を考え、それを目指していた自分から、友人やその周りの人たちに求めようとした感情が、その展開を呼び起こしたのかもしれない。やがて時は過ぎ、周りの人たちと離れ、彼は「色」を失っていった。そしてその「色」を探しに彼は、「巡礼」のごとく旅に出かけた。

「巡礼の年」
これは宗教的な巡礼ではなく、ある「ピアノ曲」からつけられている。

その「巡礼の年」は作曲家が長年にわたってその国々に行ったときの印象を表現し、曲にして書き留めたものである。その「巡礼の年」と多崎つくるをはじめとした周りの人物たちの印象、そして東京・名古屋・フィンランドと広がる舞台は、あたかもその曲の憧憬とを重ね合わせるような錯覚を覚えてしまう。「彼の巡礼の年」はおそらく彼の半生の中で印象に残ったものを時・場所とともに「巡礼」していることから曲とストーリーが重なって映る。

本書は集大成であり、今の日本の社会、それも私たち自身を映す反射鏡のような作品と言える。

そしてその反射鏡の向こう側にはどのように存在するのか。それは村上春樹本人の胸中にある他ない。