東日本大震災は約3万人もの人命を奪っていった。その一方で震災が起こったときに自衛隊や国境なき医師団、本書で紹介される医師や看護師の方々の尽力により助かった命もある。
現在、最も被害を受けた東北地方では復興に向けて進んでいるのだが、未だに「震災関連死」といった二次災害も続いていることは、忘れてはならない事実としてある。
本書は震災から「災害看護」に当たった看護師の方々について、看護師の立場から綴っている。
第1章「「災害看護」とは?」
著者はイラン大地震、スマトラ沖地震、ジャワ島中部地震など諸外国の災害に対しての看護に当たった経験がある。その経験を元に「災害看護」とはいったい何なのだろうか。
簡単に言えば災害に遭われた方々に対し、看護をする人のことを指す。しかし災害は人命のみならず家屋をも失い、生きる希望をも失うことになり、何よりも平常心そのものを失う。
その「異常」と呼ばれるような環境の中で、落ち着かせながら治療をするのかということを説いている。「治療」とは、肉体的な治療のみならず、精神的な治療も含まれている。
第2章「ナース第1班・まずは気仙沼へ」
東日本大震災のなかで最も甚大な被害を受けた場所の一つ、宮城県気仙沼市。
予想以上に被害の大きかった地域なだけに、物資不足もあれば二次感染と呼ばれる様な事象が発生しており、避難所にいる市民の方々も強烈な不安を抱えながら生活を送っていた。その環境の中でできる医療、できる看護を行うしかなかった。
第3章「石巻入り、凄まじい衝撃」
宮城県石巻市もまた甚大な被害を受けた所の一つであるのだが、気仙沼とは異なり、著者自身として「異質」とも言える様な数々の体験をした。「常識」とは何か、「生きること」とは何かと言うのを考えさせられるものとなった。
第4章「高齢者のための「福祉避難所」を立ち上げよう」
災害における「弱者」は人間であるが、中でも「子供」や「高齢者」はもっと弱い存在である。その災害でも、地震や津波に逃げ遅れ犠牲になった人も数多くいる。その災害によって命をとりとめたとしても、二次感染や震災関連死により亡くなる方もいる。
その体験の中で「福祉避難所」の重要性について身をもって感じ、本章にてそれをたちあげることについて訴えている。
「天災は忘れた頃にやってくる」
と言う諺があるように、災害はいつどこで起こるかわからない。わからないからでこそ、この「災害医療」や「災害看護」の重要性は高まってくる。その「災害看護」はどのような活動なのか、本書は東日本大震災を通じて伝えている。
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