小説あります

小説はフィクション、ノンフィクションはあれども、幅広いジャンルまで扱っている。しかし今も昔も人はなぜ小説を読むのだろうか。

私自身もこの「蔵前トラック」で本を紹介し始めた頃、小説は全くと言ってもいいほど読まなかった。読書観は人それぞれであるが、「使わなければ意味がない」「実践しなければ意味がない」と言う考えであれば、小説はいらないのではないかとさえ思ってしまう。

しかし小説は作家ファンも含めて今も根強く残っている。それはなぜなのか。
読書をしている私にとっても未だにわからない。「活字に飢えている」というのは事実だが、飢えの矛先がべつに小説でなくてもいいのに、とさえ思ってしまう。

人はなぜ読書をするのか。漫画や映画などが出ているにもかかわらず人はなぜ「小説」を読みたがるのか。
その答えは未だに解明されていない。いや、これからも解明されないのかもしれない。

ただ、これだけは言える。「活字」に植えている訳でも無く、物語に植えている訳でも無く、もしかしたら「想像に飢えている」のではないか、とさえ思えてならない。

本書は「なぜ小説を読むのか?」という問いについて、文学館の存続を巡った物語の中にまぶした一冊である。この問いは自分自身もわからないどころか「読み手」そのものに突きつけられた問いなので、物語を想像しながら読む、と言うよりも「人はなぜ小説を読むのか?」という問いについて思考を張り巡らせながら読むといった感じであるところが、他の小説と異なる点と言える。