津波避難タワー―命を守るフジワラ

2011年3月11日の東日本大震災で1万8千人もの人命が失われた。1万8千人の多くは津波による溺死が挙げであるという。もっとも記録的な津波により、場所によっては絶対的な信頼があった堤防でさえも破壊されるようなものもあり、地震対策としても、津波対策としても「打つ手なし」「お手上げ」と音を上げる論者も少なくなかった。

しかし、本書で紹介されるフジワラ産業株式会社では震災以前から「津波避難タワー(別名:タスカルタワー)」の開発を行っており、西日本を中心に設置された。さらに東日本大震災を機に、急激に需要を伸ばしており、一躍時の人となったという。
本書は著者である「フジワラ産業株式会社」がいかにして「津波避難タワー」が発明されたのか、そしてフジワラ産業株式会社とはいったいどのような役割を担っていくのかを紹介している。

第一章「タスカルタワーの発明」
津波避難タワーが発明されたきっかけは、1998年に遡る。それ以前にも奥尻島沖地震などをきっかけに津波から守るための道具を開発してきたのだが、直接的なきっかけになったのはパプアニューギニアの大地震にあった。その時も津波被害が大きかったのだが、ヤシの木を有効利用したことによる「津波避難所」だった。

第二章「命を守るフジワラ」
本章では「フジワラ産業」の会社としての考え方の根幹と、「津波避難タワー」以外に開発したものを取り上げている。救助道具セットからベッド枠、さらには歩道橋からシェルターに至るまで大小様々とある。

第三章「上阪、そしてフジワラ産業の創業」
津波避難タワーの開発元となる「フジワラ産業」が創業したのは1980年の時である。それまでは大坂で機械製造会社に就職していた。創業してからは試行錯誤を重ね、様々な商品を開発し、売り込み、実用化していった。

第四章「砂漠に雨を降らす」
現在行っている開発の中で目玉の一つとして挙げられているのが「人工降雨」の研究である。雨雲を人工的に発生させ雨を降らせると言う物である。
現在は実用化に向けて研究中であり、先月19日にはよみうりテレビの夕方のニュースにて取り上げられた。

第五章「これからの夢」
著者の「これからの夢」とはいったいどのようなものがあるのだろうか。それは、今までも、今も、そしてこれからも続いていく「発明」でもって、人の役に立つ、世界の役に立つような物をつくることにある。

第六章「わが心の故郷 備前八塔寺そして大股村」
著者の故郷は岡山県備前八塔寺大股村(現:備前市)である。本章ではその故郷の思い出を綴っている。

第七章「平和を発明」
著者は安全を発明しているだけではない。平和も発明しているのである。その象徴としてはがきや歌、旗にまで及ぶ。

第八章「藤原(葉室)家のこと」
著者である藤原家の歴史について綴っている。その歴史は1517年までに遡るという。

津波への恐怖は未来永劫伝えていくほか無い。その恐怖を少しでも「安心」と言う言葉に変えたい。1人でも多くの災害から命を守るために尽くしたい、平太のために尽くしたい、と言う思いが本書に込められている。