中国「反日」の源流

今は韓国が多いのだが、反日報道があとを絶たない。とは言っても日本でも韓国に対する「ヘイトスピーチ」が起こっており「一触即発」と呼ばれる事象が続いている。

本書は中国における日本の「反日」にまつわる考察を行っているのだが、反日は歴史認識や尖閣諸島が主軸となっているのだが、これは今に始まったことではない。戦前、いや中世からずっと「反日」「排日」「抗日」「侮日」などの行動はあった。本書はその源流についても追っている。

第一部「「近世」の日本と中国」
源流をたどる元として、中国大陸における「明」という王朝のころから遡る。「明」と言えば、日本では戦国時代末期、豊臣秀吉が太閤になり、朝鮮半島に侵攻した時からである。侵攻を受けることとなった朝鮮半島は明国の支援を受け、日本を退かせたが、そのころから日本に対する憎悪もあった。元々「倭国」と呼んで蔑んでいたことも挙げられる。
ここでは日本と中国大陸の時代変遷を紹介している。

第二部「「近代」の幕開け」
当初から中国大陸は「中華思想」と呼ばれる「華夷秩序」があった。これは中国大陸が世界の中心にあり、そこから「四夷(しい)」に分け、「東夷(とうい)」「北狄(ほくてき)」「西戎(せいじゅう)」「南蛮(なんばん)」と呼び、それぞれ蔑んでいたことをあげている。これは今の中国にも根付いており、韓中や中国・ベトナムといったところで対立があるのもそのためである。

第三部「近代日中の相剋(そうこく)」
近代日本と中国大陸は日本では「明治維新」、中国大陸は「清国」末期に当たる時代である。とりわけ中国大陸は「アヘン戦争」により地域によって侵略されることもあった。日本と中国大陸の対立が深化され始めたのは明治時代。1873年の「日清修好条規」における台湾出兵が挙げられる。当時の台湾は清国における「四害」の一つであり、「化外の地」と呼ばれ、清国でも見放していた。しかし日本が台湾に出兵したことにより「条約に背いた」として清国は不満を露にしたのである。対立の平行線は続き、ついに日清戦争が起こったのは1894年、このときから「愛国反日」と呼ばれる活動が活発化し、多かれ少なかれ、現在でも続いている。

中国における日本の「反日」は今に始まったことではない。中国そのものがいまだに「伏魔殿」と呼ばれるがごとく、何が起こっているのかわからないような国であることは間違いないのだから、「反日」の態度をとっている裏には中国の事情があるという。その事情は「反日」という名のヴェールに被さり続けられており、当の日本にはいまだに「わからない」という他ない。