女子プロレスラーの身体とジェンダー -規範的「女らしさ」を超えて-

プロレスの歴史は、紀元前からある「レスリング」とは異なって浅く、19世紀の初め頃からイギリスのランカシャー地方で始められたと言われている。その1世紀後にアメリカで女性プロレスラーが誕生した。日本に渡ったのは戦後間もない時にアメリカ進駐軍相手の興業が東京・三鷹でスタートしたのが始まりとされており、力道山よりも古い歴史を持つ。長い歴史の中で「クラッシュギャルズ」「ビューティ・ペア」「極悪同盟」などで賑わせ、最近でもスターダムOZアカデミーアイスリボンなど数多くの団体が鎬を削っており、活況を呈している。
本書はジェンダーの観点から、女子プロレスラーの歴史・身体・技術・演技などあらゆる角度にて考察を行っている。

第1章「女性の身体とジェンダー」
女性としての身体にまつわる考察について、よく「ジェンダー」が使われるのだが、本章ではなぜ「女子プロレスラー」を焦点に当てたのか、という問いについて答えている。その大きな理由として女性として理想的な身体を目指すことを捨てて、「闘う」ことに特化している事にあるという。

第2章「女子プロレス興業の特徴と軌跡」
本書は現役・引退に関係なく女子プロレスラー、及び女子プロ団体の取材を行っている。そのため、女子プロレスにおける興業の概要とその歴史について取り上げる必要があるため、本章では興業の概要と試合の流れ、さらには歴史や名勝負にいたるまでを紹介している。論文であるのだが、文章を見ていると、血湧き肉躍るような感じになってしまうのはプロレスファンの性のせいか。

第3章「プロレスラーになる夢―オーディション合格を目指して」
女子プロレスラーになるのには年齢制限はいらない(当然、未成年には保護者の了承という条件ある)。プロレスラーになる夢は人それぞれで、憧れの選手がいる、強くなりたい、プロレスが大好きである、という理由からプロレスラーを志願する人がいる。プロレスラー志願者の多くはスポーツ経験者であるという。最近では団体毎に審査基準はまばらであり、門戸が開放されている所もあるのだが、女子プロレスブームの時は宝塚音楽学校に匹敵、あるいは凌駕するほどの狭き門だったという。

第4章「プロレスができる身体への変容」
言うまでもないが、オーディションに合格したからと言ってすぐにプロデビューできるわけではない。合格してからは基礎体力をつけるなどプロレスに対応した身体作りを行っていかなければならない。また給料も練習生は薄給であり、食べることもまた難しいという。本章では昨年引退した伝説のヒールレスラー、ブル中野の練習生だった頃のエピソードも綴っている(自伝である「金網の青春」を参考にしている)。
それ以外にもプロレスラーになるまでの苦労もそうだが、プロレスラーとして鍛え上げられた身体についての考え方を「ジェンダー」の観点から考察を行っている。

第5章「闘う技能が生み出すもの―自己防衛への応用」
プロレスラーとして闘う本能と技能を持ちながら、相手の技を受ける「自己防衛」のこと、さらに男性と女性との身体の違いからくる「ジェンダー」について、リング内の試合ばかりではなく、リング外のエピソードも交えて紹介している。

第6章「演技としての女子プロレスとジェンダーの変容」
プロレスは戦いかエンターテインメントか、と聞かれると「両方を合わせたもの」と答えざるを得ない。戦いを通じて、「ギミック」と呼ばれるキャラクターの変化やユニットの誕生・崩壊、ヒールやベビーフェイスの変化も行われるようになる。これらは全て「目立つ」と言うことを意識してのことである。

第7章「力を獲得する身体と挑戦される身体」
様々なスポーツで得られるものはある。得られるものというと、身体もさることながら精神的などある。女子プロレスラーも例外ではなく、同じようなものを得ることが出来る。その一方で「女性らしさ」との戦いもある。それはファッションや容姿に対するコンプレックスがあると、著者は指摘している。

第8章「身体変容と身体フェミニズム」
本章の結びとして女子プロレスラーとスポーツマンとの比較を行いながら、女性としての身体のあり方から外れ、独特の身体、考え方とは何かについて記している。

ジェンダーにまつわる本は私自身何冊か読んだことはある。しかし、女子プロレスラーをジェンダーの観点で考察を行った作品はなかなか珍しい。また、プロレスラーになるまで、プロレスラーの稽古、さらに試合運びに至るまでプロレスファンには見えないところも、女子プロ団体の取材を通して、ストーリー仕立てで考察を行っているため、論文と言えば論文であるが、プロレスファンに取ってはかなり取っつきやすく書かれている所が面白い一冊である。

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