自分自身様々な本と出会う。中には「教養本」と位置づけられる本も少なくない。最近ではビジネス書が隆盛している傾向を憂い、「教養」を身につけるべき、という声もよく聞くのだが、はたして「教養」とはいったい何なのだろうか。調べてみると、
「1.教え育てること。
2.学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。その基礎となる文化的内容・知識・振舞い方などは時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」(「広辞苑 第六版」より)
とある。おそらく本書は「2.」の内容に該当すると思われる。私自身もそうであるのだが、身につけるべき「教養」とは何か、そしてその「教養」はどのような歴史を辿っていったのか、本書は日本における「教養」の変遷とともに、教養そのものの定義に対して問いを投げかけている。
第一章「教養教育の誕生」
本書の冒頭に「教養の原点にはモラルあり」と指摘している。これは最初に提示した意味の「2.」に該当している。その上で本章では教養の歴史について紐解いている。
「教養」は国によって言葉、そしてその言葉からくる定義によって異なる。
・ギリシャでは「パイディア」と呼び、「子どもが教育係に指導を受けて身につけるもの」と定義している。
・英語圏では「culture」と呼び、「粗野(言語・挙動などのあらくて卑しいこと。露骨で礼儀を欠くこと)な状態から耕された、人の手を経たもの」としている。本書の冒頭の意味とよく似ている。
・ドイツでは「Bildung」と呼び、「つくられたもの」という。
また、教養を受ける場も異なり、大学が誕生した12世紀以前は家庭で行う者とされており、ごく限られた人にしか教養を持つことが出来なかった。そのためか、教養を得ることは貴族などのエリート階級特権のものであると言われたほどである。
第二章「知の世界への扉―古典語との出会い」
「教養」というと「古典」と呼ばれる本を参考にしているものも多いのだが、そもそも「古典」はいつ頃から言われたのか、というと、12世紀頃、ちょうど大学が生まれた時代であり、その頃から「ルネサンス」と呼ばれる芸術や文学の「復興」が行われ、多くの古典が誕生したと言われている。
当時の「古典」はアリストテレスなどといった古代ギリシャ時代におけるものが中心だった。
第三章「日本の教養のゆくえ」
日本における「教養」が伝わってきたのか、一般的には明治時代に入ってからの事であるが、それ以前にも中国大陸における「四書五経」や「漢詩」を学び伝えられているところにある。
明治時代以降における「教養」は今でも教育現場で教えられている「科学」や「数学」なども含まれている。
第四章「大正教養人の時代―知的教養主義の伝統と継承」
大正時代と区分けしている理由には夏目漱石を筆頭に阿部次郎、寺田寅彦らが築いたものとして「大正教養主義」が挙げられる。日本や中国、イギリスの教養を通じたものが取り上げられるようになった。
第五章「価値の大転換―戦後民主主義教育で失われたもの」
本書の冒頭に「教養の原点はモラル」とあった。大東亜戦争を経て、戦後民主主義教育となり失われたものは何か。それは「モラルなき教養」にあるという。簡単に言えば、機械的に物事を教えるだけで、日本人として大切なものを教えていない所にあるのではないか、と主張している。
第六章「いま、ふたたび教養論―規矩(きく)について」
「規矩」は巻単位言うと「規則」や「手本」の事を表す。受け身で機械的な教養よりも、むしろ話し合うような双方向であり、より日本人的な教養を身につけるべきとしている。
「教養」そのものは私自身でも定義することはできない。その人に教養がある、もしくはないということも普段の振る舞いではわからない。少なくともこれだけは言える。様々な本を読み、本の中で得たものを自分自身の行動の血肉にしていくことなのではないのか、と本書を読んで思った。
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