司馬遼太郎の小説である「坂の上の雲」を捩ったタイトルである。坂の上の雲は日露戦争の時代における日本人の心意気を描いた小説であるのだが、人生における「坂」の上には理想と言われる「雲」が存在しているのだという。しかし日本の平均寿命は高齢化に伴い、「坂」と呼ばれる年齢もだんだんと上がってきており、雲と呼ばれる時がだんだんと後ろに行くことによって「坂」の上にまた「坂」ができる様な状況にあるのだという。
ただ、その「坂」は上り坂もあれば、下り坂もある。その「坂」をのぼり続けるためにどうしたら良いのか、本書は55歳というリタイアから遡り少し前の人を対象としているのだが、これから「坂」にさしかかる20代や30代にとっても人生にとって、大切なことを教えてくれる一冊である。
第一章「世の中を信じる」
「人間不信」と同じように、「世の中不信」の状態に陥っている日本。経済政策にしても、政治対策にしても、労働にしても、人生にしても信じられないような状況に陥っている。そのときこそ「信じること」というものは重要であるという。
第二章「幸せは自分の中にある」
幸せを求めるために、外をでることもあるのだが、それ以前に自分自身の中を知る必要がある。自分自身の中を棚卸ししてみると、自分自身が感じた「幸せ」を実感する事ができる。
第三章「“いい子”は、もうやめる」
今の世の中は「いい子」を重宝するようである。しかし「いい子」は決してポジティブなものではない。言い換えると「(どうでも)いい子」もあれば「(いてもいなくても)いい子」という意味合いもとれる。
そうであるならば、「いい子」であることを捨てて、逸脱した行動をすることによって、「いい人」をやめることができ、正解のない時代のなかで生き抜くことができる。
第四章「会社を利用し尽くす」
景気は良くなれど、リストラも起こる世の中で、会社には価値があるのか、という疑いがある。しかし著者に言えば、会社ほど利用価値の高いものはないと主張している。
第五章「消費の作法」
お金の儲け方よりもお金の使い方もまた、人間性を露呈する。無駄なものを買いまくっていては、辞任厳正や人生そのものを無碍にしてしまう。お金の使い方でも日本のことを誇りに思ったり、自分の教養に磨きをかけたりすることもできる。
第六章「コミュニティをシフトする」
本章では簡単に言うと「社外のコミュニティ」を見つけ、接触をすることにある。会社内のコミュニティばかりではそこにしか染まることがなく、成長もそこで止まってしまうからである。
第七章「パートナーと向き合う」
パートナーがいない私にとって関心の薄い章であるが、夫婦であることの強さを見出した章である。
第八章「死とお金を考える」
「死」のことは老年になってから考えるもの、というのは古い。いつどこで「死ぬか」わからないのが世の常である。自分がどのような形で「死ぬ」のか、そして「死」を通じてお金とどのように向き合うのかを説いている。
第九章「本当に必要な備えをする」
ボーイスカウト・ガールスカウトが常に胸に刻むべき言葉として、
「そなえよつねに」
という言葉がある。災害はいつどこで起こるのかわからないというのだが、いざ災害に見舞われる前のそなえはいつでもできる。ライフラインや備蓄もあるのだが、「居場所」づくりもまた「備え」の一つであるという。
人生は山のように坂を上ることもあれば、下ることもある。上り下りを続けていきながら、人生の終わりという「頂」にたどり着く。55歳という年齢は終わりに近い年齢ではなく、これから成長するためのきっかけとなる年齢であるという。それは55歳に限らずともどの年齢でも同じ事が言える。
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