里山資本主義~日本経済は「安心の原理」で動く

角川書店 岸山様より献本御礼。
「里山資本主義」と言う言葉は本書に出会うまで聞いたことが無い。少なくとも「資本主義」には貨幣や株といったものが流通しており、流通の度合いによって好景気になったり不景気になったりする。このことを本書では「マネー資本主義」と定義されているのだが、「里山資本主義」はこの「マネー資本主義」が原点となっている。

しかし「マネー」さえあれば、日本は成長するのか。本書に出会うまではおおむねYesと答えていたが、本書に出会ってからは「必ずしもそうでは無い」という答えに変わっていた。
では、「里山資本主義」とはいったいどのようなものか、そしてその資本主義は日本に対し、どのようなものをもたらしてくれるのだろうか。著者とNHK取材班は中国山地で「里山資本主義」の片鱗を取材し、得てきたことを形にしたのが本書である。

第一章「世界経済の最先端、中国山地―原価ゼロ円からの経済再生、地域復活」
なぜ、中国山地が世界の愛先端と主張しているのだろうか。
そこには、現在起こっているエネルギー問題などから起こっているという。最近ではメガソーラーを含めた太陽光発電の認知もあれば、脱原発を叫ぶ人も日に日に多くなっている。
では、エネルギー問題と中国山地がどのような所で直結をしているのだろうか。
それは山にある木々などの自然の産物が発電に使われるエネルギーとなる。発電力は微々たるものだが、自然との共生をする人に取っては1日の発電をまかなうことができる。簡単に言うと山の生活で完全な「自給自足」ができる、と言うところにある。

第二章「二一世紀先進国はオーストリア―ユーロ危機と無縁だった国の秘密」
次は世界に目を向けてみる。
「里山資本主義」として先端を行く国はヨーロッパ大陸にあり、とりわけオーストリアは顕著であるという。本章のサブタイトルにもあるようにギリシャやスペインなどの国々から端を発している「ユーロ危機」のニュースでオーストリアの事についてはほとんど聞かなかった。
そのオーストリアは「音楽の国」というイメージも強いのだが、林業も盛んであり、スキー場も数多く存在する。
そのオーストラリアではエネルギー開発から自給自足までの生活を為し得ている。

中間総括「「里山資本主義」の極意―マネーに依存しないサブシステム」
「里山資本主義」は自然を依存していると言うよりも「里山」というだけあり、「山」にある自然のwエネルギーや生活の糧にしていっている。しかしお金を全否定しているわけでは無く、あくまで「お金」は必要であるが、それ以上に「お金で買えないものも沢山ある」事を認識させられ、かつてあった「お金」とは縁の無い生き方から学ぶべきものが「里山資本主義」にはある。

第三章「グローバル経済からの奴隷解放―費用と人手をかけた田舎の商売の成功」
私たち若者の中で「地方」に移り住む人も増えてきている。そのこともあってか新書の中に「地方に引きこもる若者たち」という本が刊行されている。「地方に引きこもる若者たち」はどちらかというと「逃げ」などネガティブな印象で捉えられているのだが、本章ではあくまで「脱グローバル」「フロンティア」を求めて地方に移り住み、田舎でしかできない商売・ビジネスで成功している方々がいる。
都会の喧噪から逃げ出す、と言うわけでは無く、田舎でしか得られない「価値」を求めた移住とビジネスこそ、成長やお金にとらわれない新しい考え方である。

第四章「“無縁社会”の克服―福祉先進国も学ぶ“過疎の街”の知恵」
「無縁社会」という言葉は2010年にNHKで製作されたドキュメンタリーであるが、「無縁社会」から脱する方法として、草の根から様々な対策を行われているものの、実効的な対策はほとんどない。
しかし、里山には「無縁社会」を脱するための知恵が色々と詰まっている。
その「色々と」という部分が重要であり、里山での生活は地域の人など、様々な人の「支え」無くしては成り立たない。その「支え」は「支援」という意味合いのみならず、「張り合い」もまた同じ意味合いを持つ

第五章「「マッチョな二〇世紀」から「しなやかな二一世紀」へ―課題先進国を救う里山モデル」
最近ダイエットにまつわるCMや広告を見ると「細マッチョ」と言う言葉がよく目立つ。ヘビー級のプロレスラーのようなマッチョなスタイルのような形を「二〇世紀の資本主義」と見立てると、お金でものを肥やしにするような「マッチョ」な形の資本主義にしているが、二一世紀はそうではなく、自給自足をしながら貨幣などの流通を進めるという「しなやかな」資本主義、都市に喩えると「スマートシティ」と呼ばれる様な都市をつくることが大切である。

最終総括「「里山資本主義」で不安・不満・不信に訣別を―日本の本当の危機・少子化への解決策」
今の日本のメディアを見てみると「不平」「不安」「不満」「不信」を叫ぶことが多い。しかしそれでいながら代案が出てこない事ももっと嘆かわしいと言う他無い。しかし今の経済や国家の衰退などに関して書きたがる著者もいれば、それをネタにしたがるような出版社も少なくない。「他人の不幸も蜜の味」と言うが如く、不幸話をする、たたくような話をするとウケるからであるという事も言える。
しかし、日本の経済や国家はそう簡単に衰退するようなものでは無い。むしろマネーとは別の競争が始まっており、日本にはまだそこの競争に入ることができるチャンスがある。少子化や人口の減少はむしろチャンスであると喝破できる。

本書を読んでふと思ったのが、かつて日本には「瑞穂の国」と呼ばれていたことである。「瑞穂」の意味合いは日本の国の「美称(びしょう:物や人を飾ったりほめたりする呼び方)」として扱われただけでは無く、稲作の豊富な国としての呼称だった。その意味合いと本書とは異なるのだが、新たなる「瑞穂の国」の意味合いとして、資本主義としての新たな形である「里山資本主義」をつくり、育てることによって日本は差をつけることができる。日本にある豊かな自然が経済に、国にチャンスをもたらしてくれる。それを示したのが本書である。