日本は負けたのではない 超経験者しか知らない大東亜戦争の真実

本書の著者である中松義郎という方はご存じだろうか。この方の別名は「ドクター・中松」、日本の発明王をほしいままにした方である。その一方で著者は1928年生まれであり、大東亜戦争にて海軍将校として戦地に赴いた経験を持つ。そのため著者の経歴には、「最後の帝国海軍将校生徒」というのをつけている。

本書は発明家であるドクター・中松ではなく、中松義郎の軍人時代を振り返りながら大東亜戦争とはいったいどのようなものだったのかを綴っている。但し歴史学的な観点と言うよりも「当事者」としての観点で見た方が良いのかもしれない。
あと、言い忘れたのだが、本書は「「真の近現代史観」懸賞論文」という賞で同名の本について2011年に「優秀賞(社会人部門)」を受賞している。

第一章「米国から観た12月7日までとその後」
12月7日と言えば「真珠湾攻撃」のことを表している。その日を皮切りに大東亜戦争が始まったのだが、攻撃までのプロセスの中には日米間の緊張関係、そしてハル・ノートと呼ばれる「最後通牒」であるのだが、それまでの事はフランクリン・ルーズベルトの策略にあった。アメリカは日本との戦争をしかけるために、あえて日本がアメリカに先制攻撃を仕掛ける戦略を立てていた。そのことによってアメリカ国民の怒りの矛先を日本に向け士気を高めさせることが目的だった。

第二章「遂に開戦」
「真珠湾攻撃」は奇襲攻撃という見方が非常に強いことは周知の事実であるのだが、本当であれば真珠湾攻撃を行う前に日本がアメリカに対し宣戦布告を行うはずだった。しかし、宣戦布告の通達を担当した外務省が所用(大使の葬儀があったのだという)を始め様々な理由により遅れたことにあったのだという。

第三章「本土防衛体制の真実」
著者は日本防衛体制の中で海軍として従事していた。その日本防衛体制はどのようなものであったのか、当事者の立場から綴っている。

第四章「本土決戦で日本は勝った」
日本が絶対的不利になっていた昭和20年代。本土決戦もやむなし、という声が軍部内で存在したという。現に終戦のきっかけとなった元帥会議では永野修身杉山元の両元帥は本土決戦もやむなしである、と語ったという。反面もう一人の元帥だった畑俊六は反対意見を出し昭和天皇は信頼している畑の意見を尊重し、ポツダム宣言受諾の方針を固めたという。
では、著者はどのような考えを持っていたのか、というと、自らの経験によるシミュレーションから本土決戦をする事によって日本は逆転勝ちすると言う確信を持ったのである。

第五章「終戦時の絶対不敗の日本本土決戦部隊」
本土作戦の勝利を確信した理由としてシミュレーションの詳細を本章で分析している。陸軍・海軍・空軍それぞれの師団の編成を事細、武器の内容と、武器そのものの威力の詳細、さらには部隊の配置に至るまでどのようなものだったのか、準備にどれだけの時間がかかるのかを分析している。

第六章「大東亜戦争の日本の戦略的勝利」
ポツダム宣言は日本が絶対的な不利により、アメリカなどの連合国から出されたと言われているが、著者に言わせれば、アメリカが手詰まりの末に出してきた「苦肉の策」だったという。

本書はあくまで「当事者としての」大東亜戦争を綴っている。史実かどうかは自分自身も様々な資料を読んでいるのだが、謎である部分も残っている。そもそも歴史は参考にしている史料によって変化をしているので、絶対的なものは存在し得ない。戦争は兵士や武器との戦いをイメージすることもあるのだが、外交におけるコミュニケーションもそう、メディアへと喧伝する情報戦もそうである。昨今の歴史認識問題もまた情報における「戦争」と言える。武器の戦争はこれから起こらないし、起こって欲しくもないのだが、情報や外交における戦争は今もなお続いている。私がなすべき事は、戦争の考え方は様々な本から変える事にある。