悪への自由~カント倫理学の深層文法

人には「善」もあれば「悪」の感情や考え方が存在する。本書で紹介する「倫理」についてもまた然りである。しかし本書は「悪」の倫理を論じている訳ではなく、「悪」になることへの自由について、哲学者である「カント」の倫理学をもとに考察を行っている。

第一章「自然本性としての自己愛」

カントが提唱している倫理学の根幹として「自己愛」がある。これは道徳的な「善行」とことなり、「善」ととらえられることもできれば「エゴイズム」のような「悪」も存在する。しかし人にもよるのかもしれないが、いくら「自己愛」と言っても「誠実に生きたい」というような、理性的な生き方、善い生き方を求める人もいるのだが、それが「自己欺瞞」という感情に陥ることにも言及している。

第二章「道徳法則と「誠実性の原理」」

しかし、一般的な「モラル」を指す道徳法則は形式でしかない、とカントは定義しているのだが、形式的な道徳法則と、「誠実であること」そして「謙虚であることの」比較について「ユダヤ人絶滅」や「生と死」を題材にして取り上げている。

第三章「自由による因果性」

自由を得ることにより、どのような因果があるのだろうか。本章では「性格」の観点から「自由」について考察を行っている。

第四章「悪への自由・悪からの自由」

「悪」にまつわる自由とは何なのか、それは「悪へ」と「悪から」という両方の観点から考察を行っている。

人間には必ずと言ってもいいほど「悪」という感情は存在する。その感情は誰にも消滅することはできず、それでいながら「善」と「悪」という二項対立による感情のせめぎ合いによって理性をもとめるようになる。

倫理は必ずしも「道徳的に正しい」ことを論じている訳ではない。カントのように「悪」もスポットライトを浴びているのもまた倫理学と言える。本書はそういう意味で、今まであった「倫理学」と趣が異なると思えてならない。