「ノーベル賞」は化学・物理学・文学など様々な分野で顕著な功績を残し、後世に対して影響を与える賞だが、そのパロディに「イグ・ノーベル賞」が挙げられる。
「イグ・ノーベル賞」は新しい研究で世界的に貢献するといった高名なものではなく、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれ、皮肉を与える研究」ことが受賞の基準である。そもそも「イグ・ノーベル賞」の「イグ(ig)」は「否定」という意味を表しているだけに「ノーベル賞」への皮肉も込められていると言っても過言ではない。
しかし「イグ・ノーベル賞」に受賞された研究は一風変わったものもあれば、受賞条件に違わぬ「面白い」研究も存在する。それだけに「研究」という裾の屋を広げるという考えではノーベル賞以上の価値がある味方もできる。
本書は「イグ・ノーベル賞」ができた歴史と受賞した「奇天烈」な研究成果の中身について取り上げている。
第一部「「笑う科学」の奇抜な司祭者」
第1章「この特異なるイグ・ノーベル賞」
「ノーベル賞」が高名な章であるとするならば、「イグ・ノーベル賞」は「意外性」を重視しており、人気は二分されるほどにまでなった。受賞への門戸も「ノーベル賞」とは違い、分野も「化学賞」や「物理学賞」「文学賞」「平和章」など、既存の「ノーベル賞」にあるような賞もあれば、「工学賞」や「学術研究賞」など既存にないものも含め40種類の分野が設けられており、ノミネート数も5,000件にものぼる。
第2章「イグ・ノーベル賞に見る「パロディ性」と「科学性」」
最初にも書いたとおり、受賞基準は「面白さ」「意外性」「皮肉」がいかに強く出ているか、というところにある。その方向がよい方向にあっても、悪い方向にあっても、である。
その基準にしたのには既存のアカデミズムへの皮肉と批判が込められており、本来ある「研究」の楽しさ、そして人間が本来持っている「笑い」を取り戻すと言う大義名分が存在する。
第二部「イグ・ノーベル賞大国を築いた日本人受賞者」
第3章「ピカソとモネの作品を識別するハト」
第二部では実際に「イグ・ノーベル賞」を受賞した日本人を紹介している。調べてみると17例存在する。中にはカラオケやたまごっちなど一大ブームとなったものまで存在する。
最初に紹介するのは1995年に「心理学賞」を受賞した研究である。おもに「認知科学」の分野において、ハトの目から作品を認識するのだという。視覚認知と言われる分野であるが、単に絵だけを比較するだけでは無く、クラシック曲の聞き分けも可能にしており、聴覚における「認知」の違いについても発見があった。
第4章「イヌとの対話を実現したイヌ語翻訳機「バウリンガル」」
一時期社会現象にまでなったイヌ語翻訳機「バウリンガル」。イヌと人間との対話を目的としているため、生物学賞か工学賞になったのかと思ったが、2000年に「平和賞」としてイグ・ノーベル賞を受賞した。
なぜ「平和賞」なのか、受賞に至った理由は「人間とイヌの平和的な対話を促進した偉業」(p.96より)だという。「対話」による平和がなされるとするならば、いくつかの国々に対しての「皮肉」とも受け取ることもできるのだが。
第5章「兼六園の銅像がハトに嫌われる理由を科学的考察」
石川県金沢市に「兼六園」と呼ばれる日本庭園であり、偕楽園(茨城)、後楽園(岡山)と並んで「日本三名園」の一つとして挙げられている。そこには「日本武尊」と呼ばれる銅像があるのだが、なぜかここにはハトが寄りつかない。それをヒントにした科学者はカラスよけの合金の延べ棒を開発したことから2003年に「化学賞」の受賞となった。
第6章「人々が互いに寛容になることを教えたカラオケ発明」
第3章にも書いたとおり、イグ・ノーベル賞にはカラオケなど社会現象担ったものまで受賞している。ではカラオケは何の分野で受賞されたかというと、2004年に「平和賞」として受賞している。その受賞理由として「カラオケを発明し、人々が互いに寛容になることを教えた功績」としている。
公式発表であるが、実際にカラオケに行くと歌うことによってマイクを握る、相手の音楽を聴くことによって公式発表にあるような状況になることができる。それが世界中に広がりを見せたことによって世界中でも平和の雰囲気を醸してきたということを考えてのことだろう。
第7章「バニラの芳香成分「バニリン」を牛糞から抽出」
2007年に「化学賞」として受賞された研究である。タイトルから見るに「臭そう」なイメージを持たれるようだが、牛糞から「バニリン」と呼ばれる成分を抽出し、アイスクリームを造ることができたと言われるものである。授賞式にはバニリンが含まれたアイスクリームが振る舞われたが、授賞式に出席された方々は確信犯(?)的な「演技」で臭そうに味わっていたという。
ちなみにバニリンの由来は、間違っても牛糞では無い事だけは言っておく。
第8章「粘菌による迷路の最短経路の方法」
2008年に「認知科学」の分野でイグ・ノーベル賞に輝いた研究である。第3章では人間よりも小さく、かつ鳥類であるハトの認知だったのだが、今度はさらに小さい「粘菌」という単細胞の認知学を行うというものである。単細胞生物だが、実は「賢い」というところを見出し、迷路の最短経路を見抜く能力を見出したと言われているが、粘菌の使用方法によっては医学にも生物学などで大きな一歩となり得る要素を持っている。
本賞では紹介されていなかったが出来る事ならば、1999年に化学賞を受賞した「夫のパンツに吹きかけることで浮気を発見できるスプレー」についても取り上げて欲しかった(あくまで私自身の興味であるが)
第三部「「笑う科学」に未来あれ」
第9章「イグ・ノーベル賞獲得のための実践的方法論」
第三部ではイグ・ノーベル賞を受賞する、あるいはその前のノミネートを受ける方法について示している。そのノミネートを受けるにはどうすれば良いのか、と言うと「王道」と言える「王道」は存在しない。ただあるのは「ためにならない」研究であり、「おもしろい」研究である。その「おもしろい」という基準と言うよりも、タブーと言われるような聖域は存在せず、受賞した研究の中には物議を醸したものまで存在する。
第10章「これだけある「日本発」イグ・ノーベル賞候補」
著者自身が選んだ「イグ・ノーベル賞」の候補になるであろう作品が掲載されている。中には「学会」や「回転寿司」「ロボット」に至るまで存在する。ありふれたものも存在するのだが、よくよく考えてみると「笑い」を提供しているとも見て取れる。
ノーベル賞のパロディから生まれた「イグ・ノーベル賞」は、「裏」の様に見えて「裏」に見えない。というのは人類に貢献している部分もあるのだが、研究の発展と言ったものでは無く、広義の「笑い」を求めていったところにある。その「笑い」は時として皮肉を生んだり、研究意欲を促進させたり、私たちを楽しませたりする事ができる。ノーベル賞ではないのだが、きわめて重要な賞であることを知らしめた一冊であることは間違いない。
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