地域・施設で死を看取るとき

「終活」と言う言葉が広がりを見せている中で、「在宅死」をはじめとした色々な死に方を考える人もいる。それと同時に「看取り」と言う形で、もうすぐ死を迎える人に対してどのような形で看取っていけば良いのか、と考える人もいる。

かつては病院など医療の現場だけが死に向き合っていたのだが、最近では福祉施設、あるいは地域で死に向き合う人もいるという。本書ではそれぞれの場合の「死」との向き合いについて実践例を示しながら解説している。

実践1「地域での看取り」
「年を取っても、住み慣れた場所で生活を続け、人生を終わらせたい」という人は今も昔もいる。最近ではコミュニティ精神がいっそう強くなったせいか、その傾向が強くなっているのかもしれない。
自分自身も晩年は地元に戻り、地元で天寿を全うしたいという願望がある。そのため、地域でどのように家族と過ごし、看取り、全うするかと言うことを常々考えている。
本章では難病や認知症にかかった人の例に出して地域で看取る方法を示しているが、在宅医療・訪問医療といったこと、さらには地域住民への認知といった様々な「壁」が存在しているのだという。

実践2「障害のある人の看取り」
先天性・後天性関係なく、難病を患い、ハンディを得て生きた人の生涯についてを取り上げている。人の命の重さは、障害者であっても、健常者であっても変わりは無い。
しかし「短い命を失う」と言うことに関して考えてみると、灯が消えかかりそうな命の方が尊いという思いもある。
そのため、家族が、そして地域がこぞって看取ると言うことは自然のことであり、それでいて、障害者にとっても死を悟っていることから、家族のもとで死にたいという願望があるのかもしれない。

実践3「施設での看取り」
最近の経済誌では「終末期ケア」という特集が出てきている。
要介護や要支援を受けた人の中にはずっと介護ホームや老人ホームなどの施設に通う、あるいは1日中いる人も少なくない。
そのため、介護施設の中で死を迎える人も中にはおり、介護・福祉に従事している人の中には「人の死」を覚悟しなければならないのだという。

実践4「物語としての看取り」
死は老人特有のものではなく、健常者であってもいつどこで起こるかわからない。「明日死ぬように、今日を生きろ」という言葉があるように一生懸命に生きなくてはならないという感情も芽生える。それと同時に自分の人生を、一つの「物語」として描き、かつ進めていった事例を紹介している。

実践5「支援者としての看取り」
これまでは在宅・施設など様々な観点から「看取られる人」について取り上げてきたが、今度は看取る人、支援者について取り上げている。人の死を看取る、と言う立場から支援を受ける人に対して「QOC(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)」を充実した者にして、幸せに全うすることができるのか、という試行錯誤の取り組みを紹介している。

在宅医療・施設医療問わず、降りかかってくるのは「死に場所」である。その「死に場所」を自らの意志で選ぶこともできる様にはなってきたのだが、成就するためには周りの理解と支えが必要になる。誰もが一度は「死」と向き合う、その中であなたはどこを「死に場所」にするのか、あるいは家族が望むよう支えていけるのか、と言うことを考えさせられる一冊である。