明治神宮~「伝統」を創った大プロジェクト

JR山手線の原宿駅を出て少し歩くと明治神宮がある。毎年正月になると初詣客でごった返す姿は、正月の風物詩としてニュースで取り上げられる。
明治神宮には明治天皇昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が祀られている。そもそも明治神宮が作られたのは1915年、昭憲皇太后が崩御された1年後の事である。
本書は明治神宮ができるまでの経緯と、東京、ひいては日本としての明治神宮の存在について考察を行っている。

第一章「運動体としての明治神宮」
明治神宮が建てられている場所一体を「外苑」と指す。外苑に対して「内苑」という言葉があるのだが、「内苑」が皇居一帯の事を表している。これに対して「外苑」は皇居を取り囲む「庭園」や「神社」のことを表しているが、現在では一般的に「明治神宮」の周りの事を指している。
そもそも明治神宮が作られた理由としては、明治時代に江戸時代から続いた封建的な政治、さらには日本そのものの近代化・列強化を推し進めることができたことを称え「明治天皇の業績を遺そう」という声が高まった。その声の一人には日本資本主義の父である渋沢栄一もいた。明治天皇崩御後に国会では明治天皇を称える神社建立の陳情が相次ぎ、政府も神社建立のための調査会を開かれ、代々木に神社を建立することとなった。
なぜ代々木なのか、それは明治天皇が詠まれた、

「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」

という和歌によるものである。

第二章「永遠の杜」
明治神宮、及びその外苑はしばしば「鎮守の森」と呼ばれることがある。本来は「杜」が正しいのだが、明治神宮の周りには杜に面しており、ビルや道路が乱立しており大都会・東京に荘厳な雰囲気の森林をつくり、明治天皇と昭憲皇太后の御霊を鎮めるために名付けられたと言われている。その森林は明治神宮を建てるときにも議論があり、推し進めた本多静六らの尽力によってつくられたと言われている。

第三章「都市のモニュメント」
具体的に推し進めた本多静六らが林学・農学・工学が結集し、造園が進められた。エキスパート揃いである一方で東北出身の学者も多く「東北魂」が造園に込められていたと著者は見ている。
他にも神社造営から、西洋から取り入れられた技術と、日本独特の技術を織り交ぜた物になっている。

第四章「記憶の場」
明治神宮の外を「明治神宮外苑」と言われるのだが、そこには「聖徳記念絵画館」や東京ヤクルトスワローズの本拠地である「明治神宮野球場(神宮球場)」、「明治神宮水泳場」が存在する。なかでも外苑の中心を彩っているのが「聖徳記念絵画館」であり、明治天皇の生涯にまつわる絵画が展示されている。明治天皇歴史は明治維新、そして日本における近代化そのものの歴史である。
ちなみにこの絵画館は2011年、「重要文化財」に指定された。

大都市・東京の中心部のオアシスと言える明治神宮と外苑、それは日本が「欧米列強に追いつき・追い越せ」のスローガンのもとであらゆる角度で近代化し、列強の仲間入りに貢献した明治天皇を称え、そして近代の日本があったことの「記憶」を遺す場として、この明治神宮が存在することを知らしめたい一冊が本書である。