ポラロイド伝説 無謀なほどの独創性で世界を魅了する

今ではデジタルカメラがよく使われる中、ポラロイドカメラを使う人も時々見かける。デジタルカメラは電子的に、かつ大量に写真を保存することができる、あるいは気に入らない写真であれば容易に消去する事ができる良さがある。一方ポラロイドカメラは撮った後、ものの数十秒で現像写真にする事ができる、いわゆる「インスタント写真」をつくることができる。デジタルカメラが使えない、または即座に現像した写真を手に入れたい人にとってはたまらないカメラである。

ポラロイドカメラの歴史は第二次世界大戦後に開発された。ポラロイドカメラのポラロイドは言うまでもなく、アメリカ・シリコンバレーにある同名の会社名からとっている。
本書はポラロイドカメラができるまでの歴史とこれからを見ている。

第1章「光とビジョン」
最初に書いたのだが、デジタルカメラが主流になっている中で、ポラロイドカメラなどはまだまだ使われている。実はポラロイド社は2008年、ポラロイド・フィルムを生産中止の方針を固めたのである。にも関わらず、富士フイルムなどで製造を続けている。その理由としてはデジタルカメラにはない光沢を表現することができる所もある。

第2章「開発」
ポラロイドが初めて開発され、生まれたのが1936年の頃である。当時開発されたのはカメラとはいえど、「爆撃照準器」と呼ばれるゴーグルであった。当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、最新の軍用器具を開発する必要があったからである。この「爆撃照準器」の開発は後の開発されるポラロイドカメラの重要な部分を担うことになる。

第3章「今すぐに見る」
ポラロイドが生まれたきっかけは1943年に進む。ある開発者の家族が休暇中、娘とカメラを持って出かけたとき、娘が写真をすぐ見られないことについて、聞かれた事がきっかけである。そこから開発者はポラロイドカメラの構想を築き、歳月を間かけて新しいカメラを完成させ、世に送り出した。1948年の話である。
当時の名前は「ランド・カメラ」だった。

第4章「スウィンガーに会おう」
新しいランド・カメラは飛ぶように売れ、ポラロイド社も最盛期と呼ばれるほど忙しい状態だった。売れる状況に合っても技術革新を進める開発者は画質の改良を重ねながら、販売は広告戦略にも力を入れた。その中でCMが創られたのだが、その中で語られたのが「Meet the Swinger(スウィンガーに会おう)」だった。

第5章「究極の表現」
より繊細に、より色彩良く表現し、それでいて、現像までのスピードを速くさせるといった技術革新を続けていった。他にもポラロイドそのもののサイズも縮小化を図り、葉巻ケースくらいまで小さくすることに成功した。

第6章「フェードイン、フェードアウト」
ポラロイドの進化を続ける一方で、開発者は新しく「映画用カメラ」の開発も始めた。インスタントでカメラ撮影ができるとしたら、インスタントで映画をつくり、世界を席巻できると目論んでいたからである。
しかしその目論みは、プロジェクトそのものの「中止」という最悪の結果に終わってしまった。

第7章「私たちの知性」
ポラロイドには今も昔もライバルが存在する。今であれば、フィルムカメラやデジタルカメラ、昔であればフィルムカメラである。その理由にはカメラ愛好者の嗜好が多様化していることによる。
話は変わるが、ポラロイドカメラを巡っての訴訟はないわけでは無かった。有名なモノではコダック社に対する「特許侵害訴訟」が挙げられる。

第8章「闇へ」
順風満帆に見えていたポラロイドカメラだが、1980年前後から市場は衰退し始めた。従業員数も右肩下がりとなり、10年で4分の1にまで減少した。画期的な商品は新しい息吹が出ないようになると、空気の漏れ出した気球のように緩やかなスピードで落下する。そのようなことである。
そのような状況でも脱出への糸口は掴むことができず、2001年10月、アメリカ同時多発テロが起こった1ヶ月後にポラロイド社は倒産した。

第9章「そして再び……」
会社は買収され、会社名がなくなっても、ポラロイドカメラは今でも残っている。それは世界中で愛好者がいることがそうさせている。倒産後もポラロイド・フィルムの販売終了など消滅への一本道を向いていても、愛好者達は信じている。

「ポラロイドは単なるカメラではない。いわば生き物なのだ」(p.281より)

その言葉が今日もまたポラロイドを生き続けている道標である。

かつては驚異的な「独創性」でもって鳴り物入りでカメラの世界に生まれた「ポラロイドカメラ」。そこには数々の障害があり、経営破綻や買収などポラロイドカメラの歴史が終わるような出来事もいくつかあったのだが、それでも60年を越える歴史を歩み続けている。それは愛好者がいて、それに応えながら新しいものを開発しようとする人々の情熱あってのことである。