帝国陸海軍(日本軍)にはかつて皇族が在籍しており、中には元帥までなったものもいた。そもそも大日本帝国憲法には天皇は「大元帥」として全軍を統べていた一方で、昭和天皇は天皇になる以前は陸軍に属しており、少佐までなったのだという。
本書は天皇をはじめとした皇族はなぜ帝国陸海軍に入ったのか、誰がいたのか、そして明治~昭和までいくつかあった戦争に対し、いかにして関わっていったのかを考察した一冊である。
第一章「皇族はなぜ軍人になったのか」
天皇は男系が万世一系と続いているのだが、天皇としての本質は代々変化し続けている。それとともに日本そのものの本質も変化していった。
天皇、そして皇族たちが帝国陸海軍をつくり、入っていったのか、それは「権威付け」という意味合いを持っているのだという。ほかにも、かつて盛んに行われた皇族の出家を、王政復古直後、新政府により禁じたことも起因している。
第二章「優遇された宮様たち」
皇族が軍人になるメリットは第一章に記したのだが、一般人が軍人になるためには年齢・体力・学力・学歴など様々な角度から条件が課せられる。しかし皇族の場合は天皇への許可があれば無試験で入学することができたのだという。しかしこれは皇族全員が該当される訳ではない。皇族によっては一般人扱いで受験し、軍になった人もいた。その一人には慶應技術大学講師の竹田恒泰の祖父である竹田宮恒徳王(後に皇族離脱し、JOC会長にもなった)もいた。
第三章「二人の統帥部長」
「統帥部長」というのは、陸・海軍大臣に次ぐポスト「参謀総長」や「軍令部総長」がある。軍人の中でも軍閥に属するもの、あるいは重要人物がなるようなポストであるのだが、皇族も何人かそのポストに就いた人がいたのだという。
第四章「明治の出征」
皇族が明治時代における戦争に参加したことを記している。古くは日本における内覧だったのだが、戊辰戦争の時に「佐賀内乱(佐賀の乱)」と呼ばれる内戦であった。「佐賀内乱」は当時議論の的だった「征韓論」の対立によるもので、1974年に起こった。その後西南戦争から日清戦争・日露戦争にも参加した記録を記している。
第五章「昭和の軍の皇族」
時代は昭和になると、軍の発言力が増し、政治的なことにも発言するようになってきた。皇族の軍人も右肩上がりに増えていった一方で、昭和8年に「神兵隊事件」と呼ばれる一種のクーデターが起ころうとしていた(未遂)。この未遂事件に巻き込まれた一人として、後にポツダム宣言受諾と終戦処理に奔走した皇族の宰相、東久邇宮稔彦王だった。また、大東亜戦争後に生き残った皇族の軍人の中には異国の地で宣そう裁判に掛けられたものもいたのだという。
天皇に近い人々として皇族が存在するのだが、天皇をはじめとした皇族もまた、歴史の中に巻き込まれた、と言うべきなのだろうか。戦争後に皇族離脱をした方の中には、民間企業を勤めている人もいれば、官公庁で働くもの、あるいは竹田恒泰氏のように慶應技術大学講師・憲法学者として働いているひともいる。日本の歴史は常に天皇をはじめとした皇族とともにいたということを本書で証明しているのかもしれない。
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