マンガの教科書―マンガの歴史がわかる60話

日本のマンガは誇るべきものがあり、海外でブームとなっている日本のマンガ作品も少なくない。日本のマンガの質が高まっている一方で、マンガの研究を行う、いわゆる「マンガ学」というのも一つの学術として受け入れられ始めており、京都精華大学をはじめ、いくつかの大学で取り入れられている。

本書は「マンガの教科書」と題して、これまでのマンガの歴史とともに、これからのマンガの立ち位置、さらにはマンガとアニメとの関係について、これまでの研究をもとに60話にして考察を行っている。

第1章「マンガの源流をたどる」
そもそもマンガが誕生したのは平安時代における「鳥獣戯画」と呼ばれる絵巻から始まる。この絵巻には猿や蛙などの獣が擬人化している絵がたくさん映っている。
その後、数々の絵巻が登場し、有名どころでは室町時代の「百鬼夜行」が挙げられる。
日本における「マンガ」は絵巻だったのだが、明治時代に入り、英文のマンガ雑誌も取り入れられ初めてから、マンガとしての雑誌も生まれ、現在におけるマンガの原型が確立された。作品の傾向としては田河水泡の作品にある「のらくろ」のような戦争作品もから、戦後になってから長谷川町子の「サザエさん」と時代とともに作風とともに変わってきている。

第2章「赤本・貸本時代を生きて」
「赤本」と「貸本」についてわからない方もいるため、ちょっと説明する。

「赤本」・・・江戸時代中期の草双紙の一種で、表紙は赤く、桃太郎やさるかに合戦のおとぎ話の題材とし、子供向けに出されたもので、俗に大衆に向けた低俗な本を意味する(p.84より)

「貸本」・・・料金を取って一定の期間貸す書籍・雑誌(「コトバンク」より)のことを言い、「貸本屋」と呼ばれる貸本専門の店が存在した。貸本専門のマンガ作品も存在する。

明治時代から戦後間もないときまでは、この「赤本」と「貸本」がマンガの中心だった。特に戦後マンガとして草分け的存在として、手塚治虫の「新宝島」も取り上げられている。

第3章「マンガとアニメの相互関係」
マンガとアニメの関係が始まったのは、テレビでアニメが放映され始めた1963年から始まる。その時に放映されたのが「鉄腕アトム」である。その作品はたちまち子どもたちに広がりを見せ、平均視聴率30%を越えた。それ以降、手塚治虫作品を皮切りに、多くの作品がアニメ化された。そのアニメ化とともに、マンガ雑誌、さらにはマンガそのものの売れ行きも延ばし、1966年には「少年マガジン」が初めて100万部を越えた。
アニメやマンガの人気が高まることになり、模倣した作品も出てきたり、二次創作物として「同人誌」も出てきたりした。

第4章「手塚以後のマンガたち」
「手塚以後」というのは手塚治虫が亡くなった1989年以降のことを表す。このころから全盛を極めていたマンガ雑誌は部数の減少を始め、「停滞期」と呼ばれる時期に入っていった。それと同じ時期に、日本のマンガ・アニメがアメリカをはじめとした海外で人気を呼び、「ジャパニメーション」と呼ばれるほどにまでなった。さらにマンガ作品もエッセイやオピニオンなどジャンルも多岐にわたり、マンガ研究も行われ始めた。

長い歴史を持つマンガは今もまだ、人気を保ち続けている、というよりも日本における「一大文化」として世界中で受け入れられている。その中でマンガは新たな発展の岐路に立っているからでこそ、マンガ研究は欠かせないものである。本書はマンガそのものの歴史を鑑みるとともに、これからを見いだした一冊と言える。