寅さんとイエス

見るからに特異なタイトルである。後者はキリスト教における絶対神として崇められている存在である一方で、前者は渥美清演じるフーテンの露天商であり、口八丁で様々なトラブルに巻き込まれながらも、強く生きる人間である。

全く共通点のない二者だが、実は意外な所に共通点が存在する。それは「風貌」と「ユーモア」である。疑わしいかもしれないが、その根拠について本書の中身に入っていこうと思う。

第一章「「人間の色気」について」
まずは人間としての「色気」として、他人から引きつけられるような「魅力」について考察を行っている。イエスの例示は言うまでもなく「新約聖書」だが、寅さんの場合は「男はつらいよ」シリーズで出てくる台詞から引用されている。
さて本章の内容に入るのだが、「寅さん」はシリーズの中には必ずといってもいいほど美人女性が出てくる。その女性に対しての接し方が何気ない会話の中からほのかに出てくる「恋心」が、寅さんの色気を醸し出している。
一方のイエスの場合は、新約聖書に出てくる言葉、

「情欲をもって女を見る者は誰でも、すでに心の中で女を姦淫したことになる」(「マタイ5章28節」より)

とある。これはユダヤ教におけるモーセの「十戒」にて「姦淫してはならない」という戒律から派生されたものである。

第二章「「フーテン(風天)」について」
「フーテン(風天)」という言葉はどのような意味なのだろうか。調べてみると、

「八方天・十二天の一つ。インド神話では風の神で、名誉・福徳などを与える神とされた。仏教に入って護世天となり、北西の守護神となる。胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)外金剛部院(げこんごうぶいん)などに配され、老人形で鬢髪白く、赤身、甲冑をつけ、右手に幢幡(どうばん)をとる姿に表される。風神。風大神。」「広辞苑 第六版」より)

とある。元来はインド神話にあった風の神であり、風のようにぶらぶらしている人の意味である。
寅さんの異名は「フーテン」の如く、様々な場所で「露天商」をしているために、ぶらぶらしている存在とも言える。さらに「常識はずれ」という意味が「フーテン」にあることから、行動や言動にも常識はずれと思われるところが点在する。ほかにも故郷を捨て、各地に放浪していることも「フーテン」の意味としてある。っこれは寅さんに限らず、イエスの場合も「故郷」を捨てている場面が存在する。

第三章「「つらさ」について」
「男はつらいよ」の中には、寅さんのいろいろな葛藤を描写されている。とりわけ毎回描かれるのが「恋」と「別離」が挙げられる。
これに対してイエスは自身が「神」であることへのつらさが中心となる。

第四章「「ユーモア」について」
よくいろいろな場で「ユーモア」という言葉が使われるのだが、これはどのような意味なのだろうか。調べてみると、

「上品な洒落(しゃれ)やおかしみ。諧謔(かいぎゃく)」「広辞苑 第六版」より)

とある。これは寅さんであれば様々な場面で扱われるのだが、イエスの場合は「ルカ福音書」にある「放蕩息子」の話が挙げられるのだという。

本書を読んでふと思うのが、著者は哲学・神学などを専攻しているため、キリスト教の研究もその範疇にある。しかしなぜ比較対象が「フーテンの寅さん」なのか、おそらく、「男はつらいよ」の熱狂的ファンであると推測する。そうでないと、数多くシリーズのある「男はつらいよ」の中から多くの台詞を引用することは難しいように思えてならない。そう考えると、本書は「全く」異なる二者の共通点について紐解くという斬新な一冊である。

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