日本の食糧が危ない

日本の食料自給率は2012年現在、カロリーベースで39%となっている。ほとんどの食品は諸外国の輸入に頼らざるを得ない、というメッセージと言える。他にもTPP交渉によって、日本の農政が大きく変わりそうだが、悪い意味ととらえるか、良い意味ととらえるかは人それぞれである。

さて、本書は「日本の食糧」が危機的状況にある、と警告した一冊であるが、どのようなものがあるのだろうか。

第一章「戸別所得保障制度と日本農業」
「戸別所得補償制度」とは、

「生産数量目標に従ってコメを作る農家に対して、その販売価格が生産コストを下回った場合に、国がその差額を補填する制度」(p.18より)

とある。食糧自給率の向上を名目としているのだが、実際は食糧自給率の向上にもならなかった。その要因の一つとして「コメを食べなくなった」ことも挙げられる。

第二章「試論・農地は公有化すべし」
もう一つ農業政策で取り上げられるのは「休耕田」「耕作放棄地」の存在である。一言で言えば「農地改革」だが、この改革自体、1950年あたりに憲法違反と抗議し、訴訟まで起こしたのだという。
しかし食糧自給率を向上させる、そして農業を成長させるためには「農地公有化」の議論は必要不可欠であるという。

第三章「食糧自給率論争の不毛」
食糧自給率の定義には2種類存在する。一つは最初に書いた「カロリーベース」、もう一つは「生産額ベース」であり、それで言うと68%である。
食糧自給率が高い方が「自給自足」が可能になるのだが、それは果たして良いのだろうか。その理由として、早稲田大学大学院教授の野口悠紀雄氏が「週刊ダイヤモンド」にて「食糧自給率は低いほうがよい」という論文を出した。大枠で言うと、BSEや鳥インフルエンザなどの疫病のリスクヘッジになるのだという。

第四章「世界の食を呑み込む中国」
環境問題は「食糧問題」と直結する。世界的な食糧不足も深刻化の一途を辿るのだが、その根源のひとつとして「中国」を挙げている。経済成長・人口増加により食糧の需要が急速に増加しており、さらに多様化することにより、食そのものを食らいつくそうとしている。

第五章「鍵は餌にあり-その1 コメは救世主になるか」
農業改革の鍵として、著者は「餌」を挙げており、その理由について本章と次章の2章にまたがって説明されている。
前半は餌としての「コメ」の有用性について取り上げている。「コメ」というと私たちの主食、というイメージがあるのだが、方や豚など家畜の飼料として使われることもある。飼料というとトウモロコシやこうりゃんなどが挙げられるのだが、それらはほぼすべて輸入に頼っている。
しかしこの飼料をコメに転用し、国内生産を増やすことによって栄養価を高め、豚のブランドも高めることができる。

第六章「鍵は餌にあり-その2 エコフィードの将来は?」
「エコフィード」は「環境(エコ)」と「餌(フィード)」を合わせた造語であり、本書によると、

「パンの耳や屑、生クリーム、うどん、チョコレート、日切れの納豆、牛乳、あるいは冷凍のご飯などなどで全て人間が食べることができる食品」(p.140より)

とある。これを見ると「残飯」「食べ残し」じゃないか、と思ってしまうのだが、腐らせないように保冷をしているところからそうではないのだという。

第七章「無防備国家・日本」
「無防備国家」と呼ばれている理由には現在の日本は多くの森林があり、そこには多くのわき水を抱えている。中にはミネラルウォーターになるほどブランド化したものまである。
しかしその森林は中国などを中心に買い込まれており、歯止めがかからない状態にある。その法整備も進んでおらず、実質的に「無防備状態」にあるという。

第八章「貿易の自由化と食糧安保は両立するか?」
そもそもTPPを行い、関税自由化をしてしまうと、「食糧の安全」が脅かされるのでは、と主張する論者も少なくない。しかし農業の輸出を促進するためには「貿易の自由化」は書かせない。そのバランスはいったいどうするべきかを示している。

第九章「メディアのあり方を問う」
会社員時代常駐の関係で、霞ヶ関近くで働いていた経験があるのだが、毎日昼時にTPP反対や脱原発を求めるデモが毎日のように起こっていたことを思い出す。しかし新聞やTVではTPPについてほとんど取り上げられなかった。取り上げたのはごく一部の書籍くらいである。本章ではメディアが取り上げない理由ついて「農政」との関連性について考察を行っている。

TPPの交渉は年内妥結の方針と伝えられているのだが、実際にどこに着地点があるのか、今月はじめのASEAN首脳会議では、政府機関閉鎖によりアメリカは参加できなかった。その中で日本の農業は守れるか、そして「攻めの農業」ができるのか、その行く末は定かではない。

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