「源氏物語」は平安時代、紫式部が描いた恋愛文学であると同時に「姦通文学」と呼ばれる、いわゆる官能小説のような作品と言える。しかし「源氏物語」は代表的な日本文学作品として、日本はもちろんのこと、海外でも取り扱われることが多い。著者もアーサー・ウェイリーが英訳した「源氏物語」を読み、感銘を受けた一人である。
海外から見た「源氏物語」の魅力と、欧米に存在する「騎士道」と絡めて考察を行ったのが本書である。
第1章「姦通文学の系譜―王妃との愛」
「姦通文学」は最初にも書いたように、「官能小説」のようなものであるが、官能小説ではない。簡単に濡れ場は描いているものの、背徳的な場などが頻繁に出る。官能小説のように具体的に描かれている訳ではないのが「官能小説」と「姦通文学」の違いである。
しかも「姦通文学」には「トリスタン物語」「ランスロまたは荷車の騎士」「アーサー王物語」が挙げられるのだが、いずれも王族か、もしくはそれに近い身分の恋愛と濡れ場を表現していた。
第2章「『源氏物語』と姦通―源氏と藤壷」
「源氏物語」は1001年に成立した、全54帖で構成されている長編小説であり、主人公である光源氏が、宮廷の様々な女性との邂逅と叙情を描いている、後に光源氏逝去後は次男の薫が中心となる。その源氏物語について最初に取り上げているのが「藤壷」との邂逅である。
冒頭部分の桐壷から天皇家の神話と、光源氏と藤壷の関係を重ね合わせて考察を行っている。
第3章「源氏と柏木・女三宮の姦通」
二つ目の姦通話として「柏木」と「女三宮」について描いているが、そこでは光源氏の「驕り」と「誤算」が存在したことを著者は分析している。
第4章「『源氏物語』の革新性」
「源氏物語」は様々な場面で「革新的」な文学であったと著者は分析している。一つは天皇家を巻き込んだ政略と「姦通」における「罪の意識」など、「源氏物語」が出た当時のことを描きつつも、これから起こる日本のことについて予見した、といわれている。
第5章「『源氏物語』は奇蹟か?」
本章のタイトルにあるように、源氏は「奇蹟」と呼ばれるのだろうか?という疑問についてであるが、これは著者が主張していることではない。あくまで英訳した翻訳者の一人が「奇蹟」と評価したことについて反論しているだけである。
その反論をするために、頭ごなしに反対するわけではなく、あくまで「なぜ奇蹟なのか?」という疑問について日本の歴史、欧州の文学とともに解き明かしながら反論を行っている。
源氏物語の解釈や翻訳はたくさんある。それだけ日本を代表する文学作品であるのだが、本書のように「源氏物語」の解釈だけに凝り固まらず、他の文学作品や歴史を紐解いている作品はなかなかない。そういう意味では、単純に一作品の評論で凝り固まった本よりは斬新さのある一冊である。
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