私が東京をはじめ、関東に来たとき、初めて衝撃を受けたものとして「ガード下」と呼ばれるような場所にいろいろな店があったことにある。これまでバラエティやドキュメンタリーの番組で見るくらいしかなかった。
東京をはじめとした都市部ではどのようにして「ガード下」ができ、産業が栄えていったのか。著者自ら様々な「ガード下」を歩き続け、発見したこと、歴史についてを綴ったのが本書である。
Ⅰ.「ガード下とは何か?―その定義と魅力」
「ガード下」は簡単に言うと、高架化された鉄道の下にあるトンネルがあるのだが、そこに赤提灯(おでん屋やラーメン屋など)が出てきはじめた。
鉄道そのものが誕生したのは1872年、その後大正にはいって高架橋が敷設されてからのことであるが、実際にできたのは定かではない。
そもそも、どのようにして「ガード下」に店ができるのか、もしくは高架下に店を作れるのか、というと、「建築基準法」で定められており、定められた条件をクリアすることができれば、店を建てることができる。
Ⅱ.「生命力あふれるウラ町・ガード下の誕生」
「ガード下」というと「居酒屋」のイメージが多いのだが、私が初めて見た「ガード下」は東京駅~新橋駅間にある店の数々である。居酒屋もあるのだが、ほかにも食堂やレストラン、さらには雑貨屋も存在しており、まさに「様々」な、店が軒を連ねている。
本章では様々な「ガード下」が取り上げられているが、中には「ガード下に住宅街」があるもの、ドイツ風の高架橋をモチーフにしたもの、「ガード下」のアーケード街もあれば、露天商のある町も存在する。少なくともいえるのは、「ガード下」の存在する駅にはそれぞれ独自の歴史と文化が存在し、育まれた。
Ⅲ.「高度経済成長に誕生したガード下―その再生とオモテ化」
高架化された駅は別にJRをはじめ、私鉄の地上にできるイメージがある。しかし東京で言えば、東京メトロ・都営地下鉄などの駅の中には地上に駅ができているところも存在する。中には「ガード下」の存在する駅まである。
本章では高度経済成長に伴い、新たに誕生した「ガード下」について綾瀬駅(東京メトロ千代田線)や吉祥寺駅(中央線)などを紹介している。
Ⅳ.「新時代に挑むガード下―ホテル・保育園」
「ガード下」というと飲食店や雑貨店などのイメージがつてくるのだが、最近ではホテルや保育園、銭湯など、既存の「ガード下」の考えとは異なる店などが登場している。
「ガード下」に育まれた文化は「地下文化」と呼ばれるような存在だった。しかし時代が変わるとともに、今あるものと同じような文化と空間が存在しているように思えてならない。今ではごくふつうにある「ガード下」の街、それは繁華街とは同じようにみえて、ちょっと違った街が連なっている。
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