瓦礫の中から言葉を―わたしの<死者>へ

東日本大震災では、多くの人命が失われ、多くの家屋が失った。復興は今でも進んでいるのだが、思ったよりも進んでいない、という事実も存在する。そのような状況の中で、震災によって2万人近く失った人々はどのように思っているのだろうか、そして私たちは亡くなられた方々にどのような言葉を送るのか、本書はふるさとを失った作家が言葉を手がかりに、自らの文学と人生を回顧している。

第一章「入江は孕んでいたー記憶と予兆」
震災により、多くのものが破壊され、人命を失った。しかし本当の意味で「壊されたもの」は何だろうか、という疑問がある。その問いには「もの」はまず出てくるのだが、「心」というと人による。「人による」と書いた理由には「震災関連死」というもので、震災による心的な疲労がピークに達し、精神障害になる人もいれば、自殺に追い込まれる人もいる。

第二章「すべてのことは起こりうるー破壊と畏怖」
本章のタイトルにある「すべてのことは起こりうる」は災害については言える言葉である。想定外の災害はいつでも起こり得る。確か「天才は忘れた頃にやってくる」という言葉があったように。

第三章「心の戒厳令―言葉と暴力」
「戒厳令」はかつて発動することができた。これは有事(戦争など)が起こった場合に、様々な権限や自由を中央行政にゆだねる、ということにある。しかし、現行の法律上ではそういうものは存在しない。
「戒厳令」が実際に発令されていなくても、震災や天皇崩御のように、自ら自粛をするような「心の戒厳令」を敷くことがある。実際に東日本大震災でも、イベントや言論についてもある種の「規制」みたいなのがあったのは自分でも感じていた。

第四章「内面の被爆―記号と実体」
福島第一原発事故により、周辺はゴーストタウンの状態になっている。現に原発の復旧作業や修復作業の中で、作業員が内部被爆をした人物もいる。
本章では内部被爆の事を言っている訳ではなく、言葉における「被爆」の映像とは何なのかを映している。

第五章「人類滅亡後の眺めー自由と退行」
震災について私自身が思ったのが、「地球滅亡なのか?」という事を思ってしまった。3月11日には1時間以内で3度強い地震が起こったことからである。
その後津波のニュースや原発のニュースが出てきて、「本当に日本は大丈夫なのか?」「滅亡するのだろうか?」という感覚に陥ってしまった。

第六章「わたしの死者―主体と内容」
震災を通じて、様々なものが死んでいった。言葉にしても、自粛という名目でサザンオールスターズの名曲である「TSUNAMI」という歌が歌えなくなる、言葉が使えなくなる事が一時期あった。

震災により失ったものは色々とある。人命や家屋などの見えないものもあれば、心や言葉といった見えないものも失うものも存在した。本書は文学の立場から、その「見えない」ことについて解き明かしているように思えてならなかった。