凡人として生きるということ

本書で取り上げる「凡人」とはどのように定義されているのか。調べてみると、

「1 普通の人。ぼんじん。
 2 身分の低い人。並の家柄の人。」「コトバンク」より)

とある。平凡な人そのものを表すのだが、その「平凡」な人生の中で「自由」か「不自由」かと、人が二分される。その中でも多いのが「不自由な凡人」といわれている。
本書はその「不自由」な凡人から「自由」な凡人になるための哲学を、アニメーション界の重鎮がオヤジ・勝敗・コミュニケーションなど様々な角度から解き明かし、伝授している。

第一章「オヤジ論―オヤジになることは愉しい」
このブログを閲覧されている方は「オヤジ」についてどのようなイメージを持っているのだろうか。方や「年老いている」、方や「臭い」、方や「口うるさい」と言った人もいる。最初は全体的とはいえ、残り二者は人それぞれである。しかし著者は、オヤジになることの愉しさを説いている、というより、「若さ」を語ることの無意味さを説いている。タイトルはむしろそのネガティブな議論の裏返しとして表している。

第二章「自由論―不自由は愉しい」
自由の反対は「不自由」という定義があるのだが、「不自由」は「束縛」と言う言葉にも言い換えられる。その束縛は違う人からかかるのか、それとも社会そのものから束縛されるかで解釈は変わってくる。しかし、束縛の程度、あるいは考え方によっては愉しくれるのだという。

第三章「勝敗論―「勝負」は諦めたときに負けが決まる」
「勝敗」という分かれ目は成功するか、あるいは失敗するかという違いである。仕事や人生において、失敗はつきものである。当然失敗は一回体験すると、逃げたしたくなるような感情に陥る。しかし「失敗」はそれを教訓に学べることはたくさんある。著者もアニメ制作で様々な失敗を体験した中で学んだ教訓を綴っている。

第四章「セックスと文明論―性欲が強い人は子育てがうまい」
最近では「草食系男子」と言う言葉が広まっている。これは「消極的」とかそういった事でネガティブに使われているが、元々はコラムニスト・編集者の深澤真紀氏が、日経ビジネスオンラインの記事で「草食男子」「肉食女子」という言葉を生み出したが、これはあくまでポジティブなものだった。
それはさておき、本章では文明の変化が愛・性交渉にどのような影響を受けたのかを分析している。そのため「草食系男子」という言葉が生まれたり、「ロリコン」が生まれたりした。

第五章「コミュニケーション論―引きこもってもいいじゃないか」
コミュニケーションの形は技術革新とともに変化していった。その一方で「引きこもり」も同様に生まれた。著者も引きこもりだったことを自白しているが、現在における「引きこもり」と、著者が体験した当時の「引きこもり」の定義は異なる。理由には様々なものがあるのだが、単純なものでは「ネット」があるかないかの違いがある。

第六章「オタク論―アキハバラが経済を動かす」
アキハバラは「オタクの町」と言われている。「オタク」と言ってもアニメだけではなく、AKB48などのアイドルもまたオタクという非日常の文化が栄えている。
そこから日本、はたまた世界まで広がり、経済を動かしているというのは明らかな事実である。

第七章「格差論―いい加減に生きよう」
10年ほど前から「格差」についての議論が起こり、あたかも「悪」のように扱われている。確かに「格差」にはネガティブな部分はあるのだが、そもそも人間、もとい動物の生き方には「差別」や「格差」は多かれ少なかれ付き物である。「格差」と言っても生き方の多様性から生まれた「澱」とも言え、それによる「嫉妬」が「格差問題」という議論が起こったのかもしれない。

私自身アニメをよく見るし、著者の監督作品もいくつか見ている。しかしアニメ、もとい原作作品をひもといてみると、様々な哲学や文学など様々なものの模倣・参考によって生み出されているとつくづく思う。著者もアニメ制作を通じて、様々な本・体験を通じて、独特の議論が成り立っていったと、本書を読んでそう思った。

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