医学的根拠とは何か

「医学的根拠」と言う言葉を聞き慣れない人が多い。「根拠」は「根拠」でも「科学的根拠」と言ったものであればよく聞く。その差はいったい何なのか。それは「医学」が「学問」として扱われるかどうか、と言うものだろう。

それはさておき、日本における公害事件・薬害事件と言ったことは長期的な法廷闘争が行われている現実がある。それを巡って医師同士の対立もあれば、医学的な解釈を巡った混乱まで存在する。

本書は「医学的根拠」という言葉を元に、「医学とは何か」「医師とは何か」のあり方について問うている。

第1章「医学の三つの根拠―直感派・メカニズム派・数量化派」
本章では医学の根拠として以下の通り、三つに分割している。

「直感派」・・・経験や個性により判断し、数字やメカニズムを批判する医師(p.22より一部改変)
「メカニズム派」・・・医学を科学的に原理を打ち立て、実験に基づき原因を特定し、条件に従うような医師(p.23より一部改変)
「数量化派」・・・患者を集団として扱い、事例を数量化して集計し、統計学を用いて分析する医師たち(p.23より)

この3種類は19世紀頃からずっと対立は消えていない。むしろその対立は年々ひどくなり、現代医学との乖離も存在する。著者が言うに「現代医学」は「数量化」が柱であるという。

第2章「数量化が人類を病気から救った―疫学の歩み」
「数量化」の医学が始まったのは17世紀のことである。始まりは医師ではなく、貿易商で、ロンドンの地区の出生・死亡を集計して、死因を分類して統計にした。
統計によって様々な原因が明らかになり、どのような病気が多いのか、そしてその処方に関する研究を進めていったらいいのかを示してくれる。

第3章「データが読めないエリート医師」
統計によって分析ができ、原因を特定することができ、それに対する処方や医療技術を正しく進歩する為の「根拠」を映し出すことができる。しかし医師によっては数量化の知識を持たない、データを読めない医師、あるいは医療の専門家がいるのだという。その影響により、水俣病などの公害病、さらに放射能汚染の基準などが揺れており、公害事件や放射能の内部被曝の要因になっている。

第4章「専門家とは誰か」
そもそもどのようにして「専門家」は作られるのだろうか。その一つとして「臨床研究」が挙げられるのだが、実際に臨床研究が進められないというのがある。その要因としては「臨床研究」そのものを教えることができない教員もいるという。実際に研究論文も「基礎研究」の論文は、世界的にも多いものの、「臨床研究」の論文は飛び抜けて少ないという。

医療の世界で「数量化」ができない専門家が多く、そのことで公害事件や薬害事件が起こっていると著者は指摘している。それは本当なのか、という疑問はおそらく医学の中でも議論の的になるのだが、その議論のきっかけとなる一冊だったと言える。