なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか

何か「俗流若者論」のようなタイトルを見ているようでならないが、それに対する意見はここでは述べないようにしておいて、戦前の教育では、「修身」という授業があり、日本人としての人徳、マナー、美学などを学ぶ重要な授業となった。しかしこれが「軍国主義の象徴」と見なされ、なくなってしまった。代わりに出てきたのが「道徳」という教科なのだが、本当のところモラルを身につけられているのか全くの謎である。

本書は古き良き日本の教育から今の大人と子どものモラルの現状から、大人の立場からどのように子供に接したらよいのかを主張している。

第一章「戦争の世紀に、日本が失ったもの」
日本の教育は第二次世界大戦・大東亜戦争の敗戦を機に大きく変わってしまった。最初に書いた「修身」の教科がなくなり、日本人としての考え方も「愛国心」が消え、さらに生活様式も欧米スタイルになってしまった。その風潮は、戻りつつあるとは言え今でも続いている。その大きな要因としては戦勝国であるアメリカの文化が急速に流入したことにあるのだが、その手引きとなったのがGHQである。

第二章「現代の教育で育った子供たちの不幸」
現代の日本の教育の中で劣化した部分は日本人であることの「誇り」と「美徳」、さらには「歴史観」である。
しかし、日本における「教育」は制度でしかなく、本当の意味での「教育」は学校ではなく、両親、さらには近所などの地域の方々のしつけで初めて教育として成り立っていた。
他にも「平等」をうたった教育が現代教育としてあるのだが、

「みんなちがって、みんないい」

という言葉が欠如しているようでならない。

第三章「正しく成長していない大人たち」
「近頃の子どもは変」や「最近の若者はなっていない」と言うような風潮は、戦前でも戦後でも、起こっている。子どもは当然時代とともに変かはしているのだが、それを自分の価値観に押しつけて変わろうとしない「大人」が成長していないのではないかと著者は主張している。

第四章「「美学」不在の時代がやってきた」
日本人としての「美学」とはいったい何なのか。「礼」を忘れない、奥ゆかしい、人との「和」を忘れない、と挙げてみるときりがない。しかしその「美学」は「効率化」「合理化」と言ったものがはびこり忘れ去られてしまった。もっと言うと経済が急速に成長したことにより、モノが豊かになったのだが、その犠牲として日本人としての「心」を取り戻すことが置き去りとなってしまった。

故事成語として、

「袖振り合うも多生の縁」

と言うものがある。これは本書のあとがきにも記されているのだが、日本人にはこのような言葉が地で行くような文化や考え方があった。今となっては「無縁社会」となっているなかで、日本人は、というよりも大人はどのような考えを持てばいいのか、そのことを本書では教えてくれる。