思想としての「無印良品」- 時代と消費と日本と-

「無印良品」と言えば、誰でも知られるブランドなのだが、百貨店はもちろんの事、ファミリーマートなどでも扱われることもあり、百貨店に行かなくても、身近なところに存在しているブランドとしてあげられる。実は私も無印良品ユーザーであるが、あくまでめがねふきをよく使うと言うだけで、それだけヘビーなユーザーではない。むしろかなりのライトユーザーと言った方が早いかもしれない。
私事はさておき、本書は「無印良品」の隆盛が日本の消費経済、さらには日本人の文化に対してどのような変化をきたしていったのか、さらに「無印良品」にはどのような「思想」を持っているのだろうかそのことについて考察を行っている。

第1章「無印良品の沿革」
最初は無印良品の歴史から紐解いていく。無印良品は1980年に西友のプライベートブランド(PB)として作られたのが始まりである。PBというと今となってはスーパーに限らずコンビニでも行われており、フランチャイズではスタンダードと言われているのだが、元々は1960年代に生協(日本生活協同組合連合会)や大手スーパーや百貨店では既に行われていたが、それほど広がりはなかった。しかし「無印良品」により「PB」を一般層にまで広げた草分け的存在としては言える。「無印良品」ができた背景には、二度にわたって起こった「オイルショック」が深く関わっている。さらに言うと安物の商品の時に使われる「安かろう悪かろう」という言葉を覆したいという思いも含まれていた。元々の発案は堤康次郎の息子であり、セゾングループ代表などを歴任し作家「辻井喬」という顔を持ち、昨年11月に亡くなられた堤清二氏らによる発案によるものだった。

第2章「「無印良品」という思想」
そもそも「無印良品」は、いったい何を意味しているのだろうか。元々は既存ブランドが確立されていて、高級感が漂っていた、そこで西友のプライベートブランドとして、既存ブランドにおける「反体制」としての「ブランド」を築き上げた。他にも「無印良品」の意味として「無印」の意味についても取り上げているが、ブランドイメージと言うよりも日本の文化としての意味愛が強い

第3章「両義性としての「無印良品」」
しかし文化・ブランドにおける「無」と生活者との両義性について取り上げている。「無印」であることの意味から、ビジネスとして、ブランドとして、生活用品としての「無」を示しているものとは井いったい何かそのことを示しているが、本章は無印良品のブランドの意味と言うよりももっと哲学的な観点で考察を行っているように思えてならない。

「無印良品」は私たちの生活の近くにあり、ひょんな事で溶け込むブランドとしてある。それは100円も満たないようなものから、割高なものに至るまで「無印」だからでこそ表せる商品が多数取り揃えられている。個人的にも色々な商品に触れてみたい気もするし、本書を通じて無印良品とは何か、その深淵について知りたくなってしまう。