デジタルデータは消えない

普段仕事などでパソコンを使う機会が多くなっている。特に最近では、その傾向が強くなってきている。そんな中で、不必要なファイルをデリートする、あるいはゴミ箱に捨てて「空にする」と言うことをやってファイルを削除するのだが、こういうことをやってしまってもファイルデータは消えない。むしろ復元しやすいと言える。私はファイルを削除する際に「裁断」できるソフトを使ってやっているが、それでも完全に消す、と言うことは不可能である。

本書は情報漏えいに関する観点から、デジタルデータはどのように扱われていくのか、そして情報にまつわる「訴訟」は日本とアメリカでどうなっているのか、そしてこれからの時代私たちはどうしていくべきか、そのことについて取り上げている。

第一章「事件の陰に、デジタルデータあり」
事件の証拠として「メールデータ」が取り上げられることが多くなってきている。しかし不利なメールを削除しても復元はたやすい、と言うことを考えると、証拠隠滅をしようとしてもまず復元されるし、ましてや「証拠を隠滅しようとした」という新たな状況証拠ができる。
そういったデジタルデータが証拠になる事件はいくつもあるが、主要な事件として「大相撲八百長問題」「ライブドア事件」などが挙げられる。

第二章「高まる情報漏えいリスク」
セキュリティの技術は高まりつつあるのだが、それと同時に情報漏えいのリスクも高まってきている。実際に誰もが情報流出が可能であり、魔が差して情報漏えいに荷担してしまうと言った事もある。他にも「産業スパイ」や、先日起こった「東芝技術韓国企業流出事件」など、最高機密に当たるようなものを盗んだり、海外に売り渡したりするようなケースもある。他にもTwitterなどを使って機密情報を漏えいするというケースもある。情報漏えいは誰でも手軽にできてしまう時代だからでこそ、「個人情報」や「機密情報」に対する意識を個人・企業・国単位で高める必要がある。

第三章「「訴訟大国」アメリカで今、何が起きているか」
「デジタル訴訟社会」と呼ばれるのは、情報漏えいやセキュリティ事故に対する損害賠償のことを指しており、日本でもそれに関する訴訟事例は存在するが、本章では「訴訟大国」として知られるアメリカではどうなっているのかについてフォーカスを当てている。

第四章「これから日本で、何が起こるのか」
アメリカでも主要な事件でデジタルデータが証拠として取り上げられている。もちろん日本でも同じようなことが起こっているが、アメリカの方が先に「エンロン事件」などで起こっている。日本もこれからそういった形の訴訟が殖えてきており、それに向けた準備が必要であることを著者は主張している。

日本は「訴訟社会」程ではないものの、訴訟に対する関心事は多くなってきている。その中でデジタルデータはどのように扱うべきか、そしてセキュリティや情報漏えいのリスクをどこまでヘッジすることができるのか、その問題を考えるきっかけになる一冊である。