教室内(スクール)カースト

けっこう学校を取り扱ったドラマや映画、アニメなのであるグループが牛耳っていて、階級みたいなものができているようなものを見る。現実としてそういった事がありうるのだろうか、と言うことを自分自身に問うてみるが、何せ学校を出たのが6年も前の事であり、クラスも分けられているが、「カースト(インドにおける「階級差別」を表す)」のようなことがあったというと、そうではなかった。一応グループはできていたが、階級はなく、むしろコミュニティという感じだったように思う。何しろ遠い記憶なので、思い出そうとしてもあまり鮮明に覚えていない。
それはさておき、本書は中学生へのアンケイートを踏まえながら「スクールカースト」とは何か、そして「スクールカースト」の現状についてえぐり出している。

第1章「「スクールカースト」とは何か」
いわゆる「ランク付け」ということでクラス分けをしたり、グループを作ったりするような作品は数多くある。前述のドラマ・映画・アニメはもちろんのこと、元となっている小説やマンガもそうである。「ランク付け」が顕著に表れたのは一昨年に映画化された「桐島、部活やめるってよ」という作品である。
しかし現実にも「スクールカースト」と呼ばれる階級が暗にできていて、それにより息苦しく、それでいながら精神的にも追い詰められる子供も少なくない。

第2章「なぜ今、「スクールカースト」なのか」
ここでちょっと疑問が出てくる。それは「スクールカースト」と「いじめ」との違いについてである。「いじめ」は、

「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」「いじめ防止対策推進法」第二条第一項より)

と定義されているが、スクールカーストは物理的な危害は与えている訳では無く、差別意識を助長するような事を指している。そう言う意味ではいじめとスクールカーストは、関連性はあれど、同じ定義にはならない。

第3章「「スクールカースト」の世界」
具体的にどのようにして「カースト」ができあがるのか、本章ではケースを交えて紹介している。中身を見ると、友達の数や障害の有無、さらには素行や成績といったことで差を付けて上位意識を持つ行動を持つのだという。本章で取り上げるケースは中学校のみならず、小学校・高校にまで広がっており、それぞれで「スクールカースト」における認識が変化している。

第4章「「スクールカースト」の戦略」
スクールカーストの上位にいるための「戦略」と言うべきか、その傾向について取り上げられている。人それぞれの性格や嗜好・評価はもちろんのこと、グループ内の結束力といったもので個人・グループが上位にいるかと言うことが測られる。いったん順番が固定されてしまうと努力では変わらないのだという。

第5章「教師にとっての「スクールカースト」」
では、教師側は「スクールカースト」をどのように認識しているのだろうか。著者が教師にインタビューをしたところ、認識している人が多いのだという。それも、スクールカーストを利用するのだが、それは「能力」による序列で見ているため、実際に生徒と教師とで認識の乖離が存在する。

第6章「まとめと、これからのこと」
そもそも人間、もとい動物は階級や差別が存在するため、完全に差別が無くならない。しかしスクールカーストを恐怖ととらえず、むしろ「下克上」という意識をもってやっていくと社会派「競争社会」であるだけに、一種の社会勉強になるのかも知れない。しかし陰湿ないじめに繋がることは許されないため、そういった所は教師や親なども注視していく必要がある。

学校は社会と乖離していると言われている。とはいえ、クラス数十人いる中で個人それぞれ性格も考え方も異なるので一つの「社会」が作られている。そこで「階級」もあれば「差別」も出てくることは致し方のないことだが、スクールカーストが陰湿ないじめに発展することだけは避ける必要がある。本書は子供達がつくるスクールカーストの実態を知る格好の一冊であり、いじめに発展するための予防策を考える機会になる一冊である。