メディア・リテラシー論

「メディア・リテラシー」と言う言葉は私が中学・高校の時からずっとその言葉を聞く機会が多かったのだが、実際の所どのようにして行うのかはいまいち分からなかった。もちろん「メディア・リテラシー」にまつわる教育もあった事は存じているが、そこにどのような効果があったかというのは不明である。

そこで本書では「メディア・リテラシー論」と題して、メディア・リテラシーの重要性から、メディア・リテラシー教育のあり方さらに海外の事例などを盛り込みながらメディア・リテラシーについて説いている。

第1章「現代社会におけるメディアと人間の関わり」
「メディア」と言うと、「新聞」「雑誌」「テレビ」というイメージがあるのだが、それだけでは無く、パンフレットやチラシ、最近ではインターネット(ホームページやブログ、SNSなど)が挙げられる。簡単に言えば、情報を流す側の事を指しているとも言える。もちろんこのブログも色々な本を閲覧されている方々に情報や感想を与えているものなので、一種の「メディア」と言える。

第2章「メディア・リテラシーとは何か」
「メディア・リテラシー」とは、

「メディアの意味と特性を理解した上で、受け手として情報を読み解き、送り手として情報を表現・発信するとともに、メディアのあり方を考え、行動していくことができる能力のことである」(p.13より)

とある。第1章の考察では受けて側の事について書いたのだが、実際の所インターネットの発展でブログやSNSができたことにより誰にでも情報を伝える側に立つことができるようになったため、発信者の側からの「メディア・リテラシー」を学ぶ必要ができてきた。本章では原点に立ち返って、そもそもメディアとは何か、そしてメディアの変化について取り上げている。

第3章「メディアの何を学ぶのか」
私たちが、メディアの影響を受ける事は数多くある。その際にどのような事を学ぶのだろうか。一つは「現実」なのだが、「ありのまま」ではない。それはメディアにおける「送り手」と「受け手」の先入観により、脚色されたり、もしくは断片的に送ったりすることにより、そのまま伝えられないようなこともあるのである。

第4章「多様な能力からなるメディア・リテラシー」
その「先入観」「脚色」「断片」になったモノをどのように送り、どのように受け取る必要があるのか。そこで「メディア・リテラシー」と言う言葉が登場する。「リテラシー」と言っても、正しく情報を受け取るだけでは無く、「読み解く」「創造する」「活用する」と言ったことも必要になってくる。そう考えると、本章で主張しているように「メディア・リテラシー」は、多様な能力を必要としている。

第5章「イギリス・カナダ・日本におけるメディアの教育」
メディア教育についてイギリス・カナダ・日本それぞれの歴史について考察を行っているが、にほんではまだまだ浸透はできておらず、一般的なものにはなっていない。

第6章「日本におけるメディア・リテラシーの研究」
では「メディア・リテラシー」の研究は進んでいるのだろうか、という所にも入ってくる。研究自体は社会学などの立場から行われてきたのだが、実際の所「研究」だけに止まっていて、実践的な所には至っていないと言うのが現状にある。

第7章「子どもが取り巻くメディア環境」
メディアの変化と共に、子どもに限らず取り巻くメディア環境も変化している。本章では子どもにフォーカスを当てながらメディアはいかにして変わったのかについて取り上げている。

第8章「メディア・リテラシーと情報活用能力」
「メディア」にまつわる教育は浸透していないと行ったが、行われていないとは言っていない。ごく少数であれど、情報に関する教育、メディアの受け手、あるいは送り手としての教育は行われている。その中で「情報活用能力」としてのメディア・リテラシー教育はどのようになっていったのか、歴史的な見地から考察を行っているのが本章である。

第9章「学力とメディア・リテラシー」
学校教育の場でも「メディア・リテラシー」の教育が行われている所もある。どのような事をやるのか、と言うと例えば新聞を作る、あるいは学力テストとして新聞の内容をどのようにして読み解くのかを測る、という試みも存在する。

第10章「メディア教育用教材の開発」
教育現場ではメディア・リテラシーの教育を行っているが、啓蒙活動自体は省庁でも行われている。総務省では「メディア・リテラシー」のページをつくり、教材を子供向け、あるいは先生・保護者向けに公開している。他にもNHKなどでも「メディア・リテラシー」に関する番組が放送されている。

第11章「先駆的モデル、フィンランドのメディア教育」
「メディア・リテラシー」が最も進んでいる国として本書ではフィンランドを取り上げている。フィンランドというと教育としても先進的な所として有名であるのだが、フィンランドをケースとして取り上げながら、どのような教育が行われているのかを紹介している。

「メディア・リテラシー」はまだまだ日本に浸透していないモノの、教育・公共の場で取り組みは行われている。それを私たちがどのように学び、活用していくのか、そこにかかっていると言える。