知的文章とプレゼンテーション―日本語の場合、英語の場合

文章を作るのは何とも難しい。私がやっている書評のように散文を書くものもあれば、論拠をきちんとし、理路整然とした文章を書く「論文」も存在する。文章の用途は様々であり、書くモノに応じて対応をしていく必要があるため、本当にどういった文章が求められるのかは、もの・ことによって異なると言っても過言ではない。
話がそれてしまった。本書は論文を書くための「知的文章」の作り方とプレゼンテーションのあり方について、研究者の立場として紹介している。

第1章「理系、文系の区別はない」
研究論文は理系も文系も区別は存在しない。どちらにしても実験にしろ、主張にしろ、文献にしろ、根拠を示しながら、仮説を組み立て、検証をしていくのが研究であり、それを文章化したものが論文である。

第2章「日本語は非論理的か」
これは以前、祥伝社新書で「日本語は本当に「非論理的」か」という本の書評でも書いたのだが、日本語が「非論理的」な理由として、論理を進めていく際に「思う」や「感じる」と言った物的証拠では無く、推測から来ているのだが、本章ではそうではなく「主語の欠如」「文法不定」「あいまいさ」が主だった原因であるという。

第3章「知的三原則≪簡潔・明解・論理的≫」
論文を書く際には本章で紹介されている「知的三原則」は鉄則である。短い文章で、分かりやすく、それでいながら論拠がしっかりとしているものを書かないと論文として成り立たない。他にも小論文やレポートについても同じことが言える。

第4章「説得力のあるドキュメントを書く」
本章で言う「ドキュメント」は「論文」「レポート」「申請書」の事を表しているが、「申請書」は簡単に言うと、研究資金を請求、あるいは応募するための「申請書」と言う。これをビジネスに当てはめていくと、「説得力のあるドキュメント」は「事業計画書」や「稟議書」がある。

第5章「審査する、評価する、推薦する」
ドキュメントを書いたら必ず確認・審査がある。それを通じてやり直さなければならないところもあれば、論文として掲載されたり、本章で取り上げている学者からの「推薦」をもらったりすることができる。

第6章「人を惹きつけるプレゼンテーション」
プレゼンテーションというと商品やサービスを紹介する、あるいは惹きつけるというようなイメージがあるのだが、本章ではあくまで論文の発表、あるいは講演をするためのプレゼンテーションである。もちろん分かりやすく、かつポイントを抑えることは必要であるのだが、実際の所、ビジネスのプレゼンテーションと学会、あるいは講演のプレゼンテーションとで方法は使い分けていく必要がある。ただしさっきも書いた「分かりやすく、かつポイントを抑える」ことはどこでも共通する。

第7章「英語の世紀を生きる」
近年ではグローバル化が進んでいるが故に、日本語よりも英語を教育する重要性について説きつつ、

「英語を公用語にすると、言語的孤立は免れるかもしれないが、日本語を排除することにより失うものも大きいはずだ。言語はその人の思考を完全に支配している上、文化そのものでもある」(p.158より)

と、英語公用語論について批判している所が結構面白い。

第8章「コンピュータを使いこなす」
もはや論文を書く際にあたりまえとなっているコンピュータであるが、コンピュータをどのようにして使うべきかと言うのを説いている。

「知的文章」を書く機会は自分自身あまりないのだが、もしも自分が「知的文章」を書く機会にあるとするならば、当然日本語としても、さらに論文としても理路整然とした文章を書く所存である。もちろんそのために本書の活用は忘れてはいけない。