「肌色」の憂鬱 – 近代日本の人種体験

「F1にイエローはいらない」

これは1986年のF1イタリアGPで、当時国際自動車スポーツ連盟(FISA)の元会長だったジャン=マリー・バレストル氏が当時F1におけるホンダエンジンの総監督だった桜井淑敏氏に向かって言われた言葉である。人種差別的な発言だが前後すると当時はホンダエンジンが席巻し、バレストル氏の母国であるフランスのルノーエンジンが不振だったという事情があり、その恨み節としてこの発言がでたという憶測がある。

なぜこの言葉を最初に引き合いに出したのかというと、「肌色」というのは、人種差別の事を表している。例えばアジア系の場合を差別する場合は「イエロー」、アフリカやアメリカ大陸にいるアフリカ系・南アメリカ系人種を「ニグロ」や「ブラック」というような形で差別する。そういった事が日本人に対してあったのか、と言うことを調べて見たら、私の趣味の一つである「F1観戦」というほど近い所で発見したので取り上げた次第である。

長い余談はここまでにしておいて、本書は明治維新から現代まで西洋諸国と日本における歴史を「人種」と言う観点から読み解いている。明治維新当時は文化として劣っていることを痛感し、文化・政治・軍事など様々な観点から「西欧化」を徹底的に追求した。そして日清・日露の二度の戦争を経て晴れて非西欧の一等国化に成功した。しかしそれはアメリカにおける「排日移民法」など人種差別を促す法律の完成や、かねてから推進していた人種差別の撤廃についてパリ講和会議での挫折、さらには「黄禍論」の助長など、日本に対する人種差別がいかにして起こったのか、そのメカニズムについて考察を行っている。