「ウスケ」と書いてあっても別に「薄毛」を言っているわけではない。ワインに関する著作を多く発表してきた「麻井宇介」の名前をとって「ウスケ」と名付けられている。宇介はワインの醸造を手がけながら、晩年はワインコンサルタントとして世界中にワインの醸造方法を教え伝えている方である。その麻井氏の薫陶を受けた3人の人、人呼んで「ウスケボーイズ」と呼ばれる方々が、麻井氏から何を教わり、日本におけるワイン文化を広めていったのか、本書はその事実を綴っている。
第一章「六畳間のワイン狂い」
山梨県の甲府平野にある自宅マンションで「ワイン友の会」と呼ばれる勉強会を定期的に開いた鼻血である。参加者は皆真剣勝負でいくつものワインを見たり、臭いをかいだり、飲んだりしながら格闘している。あたかも本章のタイトルにある「ワイン狂い」のように。もちろんディスカッションも真剣勝負でほぼ毎回深夜にまで及ぶ程の長丁場になるのだという。
なぜそこまでして親権にワインを勉強するのか。それは日本でワイナリーをつくり、日本でワインをつくることにあった。今となっては全国至る所でご当地ワインがつくられており、ワイナリーや醸造もできている。しかしかつては、
「日本でワインを造る奴はバカだ。日本でいいぶどうなんか出来っこないんだから」(p.40より)
という声が大きかった。
第二章「日本では無理だ」
ではなぜ、日本でワインを造るのは「バカ」であるのか。元々ぶどうは生食用のぶどうこそは作られていたものの、ワイン用に造られていたことは少なかった。最もワイン造りのぶどうを造ることそのものに抵抗を持つ方も少なくなかった。
さらに日本の気候条件に合わないという考えを持つ者もいたが、フランス現地でワインを研究しながらワイナリーを造ること、そしてワインをつくる事を繰り返し試し、ワインについて議論を深めていき、より上質なワインを造るための試行錯誤を繰り返していった。
第三章「畑の修道士」
そのワイナリーを絶えず試行錯誤を繰り返しながらにらめっこをし、改良を深めていく姿を見て、誰かが、修行をする女性のことを表す「修道士」になぞらえて、本章のタイトルにある「畑の修道士」と名づけられた。
第四章「宿命的風土論に呪縛された歴史」
第一章・第二章でも語ったのだがなぜ生食用のぶどうの畑はあっても、ワイン造り用のぶどう畑がなく、もし造ったとしても口を揃えて批判するのだろうか。麻井宇介氏はこのことを「宿命的風土論」と定義づけたのである。一種の理論ではあるが、その理由の中には土壌の「差異」があるのだが、その「差異」の解釈を大きくしてしまった事にあるという。
もっと言うとワインの文化は他と比べてもかなり遅く明治時代から始まったのだが、一般にも広がったのは高度経済成長に入ってからの事である。
第五章「ワインと恋と狂気」
「ウスケボーイズ」たちはワインにのめり込んでしまうあまり、恋愛と結婚を野放しにしてしまったこともあり、実際に離婚をしてしまった人もいたのだという。恋愛と仕事の両立が難しくなっているという世の中であるのだが、ワイン造りへの情熱が恋愛や結婚よりも勝ってしまった功罪もあったのかもしれない。
第六章「LET IT BE」
風当たりや恋愛や結婚のもつれなど様々な障害があったのだが、ウスケボーイズたちはそれぞれのワイナリーを持つようになり、上質なワインを造ることが出来た。しかしまだこれは終わりではない、始まりに過ぎず、さらなる高みを目指して今日もワイン造りに励んでいる。
麻井宇介氏の熱意をそのまま実行に移した「ウスケボーイズ」たちは、風当たりに耐え、試行錯誤を繰り返しながら日本でのワイン造りに成功した。しかしこれはまだ序章に過ぎない。今度は日本のワインを日本中に、そして世界中に売り込むためにどのような上質なワインを造るべきか、第六章でも述べたとおり、今日もまた戦い続けている。本書はその姿を追った一冊である。
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