小説を愉しむ脳~神経文学という新たな領域

小説を愉しめる人と、小説を愉しめない人の脳にはいったいどのような違いがあるのか。私は小説を書評している中で疑問に思ったことである。もちろん私の肩書きの一つである書評家があるのだが、同業者の多くは小説の書評を主としている方が多い。もちろん著名な書評家を見てみるとそのほとんどが小説専門と言っても過言ではない。

しかし私は元々小説中心では無く、どちらかと言うと小説を読むのが苦手である。そのため本書でもって「小説を愉しめる人」「小説を愉しめない人」の脳の違いとはいったい何なのか知ろうと思って手に取った。

1.「読みの神経機構」
中世では石版で、紙が出来てからは紙で、そして最近ではパソコンやスマートフォンなどを電子書籍でもって本を読むことができるのだが、実際の所本を読むことの運動についての構造に全く変わりは無い。目で文字を追い、目で見た文字を脳に刺激を与えて初めて情報として記録される。
しかし「読み」と言っても読める速さは英語・日本語とでは大きな違いがあり、さらに小説や新聞、さらには学術書といった本で1分当たりどれくらいの文字数で読まれるのかにも言及されている。本章によると「軽い小説」が最も読みやすいそうだ。

2.「読み書き能力の脳内機構―文化差の影響」
ものの読み書きを司る脳として「言語中枢」と呼ばれる神経だがその言語中枢が読み書きだけではなく、音読など声を出して読む事にまつわる効果についても取り上げている。

3.「読書と脳」
「文字を読む」と言っても日本語には「ひらがな」「カタカナ」「漢字」と多岐にわたる。それぞれ読んでみたら脳活動にどのような違いが生じるのか、本章では「ひらがな」「漢字」について本を読んで、どのような脳活動を行うのか実験を行っている。

4.「バイリンガルの脳内神経基盤」
本章では少し「本を読む」というところから離れる。バイリンガルというと日本語や英語など様々な言語を読み書きのみならず、話すことが出来ることにある。もちろん日本語と英語とでは文章構造が異なるし、日本語の他の言語でも似ているものもあれば全く異なるものもある。そのため覚えやすい言語もあれば、覚えにくいものもある。それぞれ異なる言語をどのようにして使い分けているのか、脳内神経の実験の中で解き明かしているのが本章である。

5.「文章が創発する社会的情動と脳内表現」
小説には喜怒哀楽の表現が様々な形で盛り込まれている。ボキャブラリー(語彙)が多ければ多いほど、繊細な表現をする事ができ、読み手の感情をくすぐらせていくのが小説の醍醐味と言える。ではその文章からどのようにして喜怒哀楽を読み取ることが出来るのか、ここではfMRI(functional magnetic resonance imaging:機能磁気共鳴画像法)研究でもって、文章を通じて、いかにして罪責感や羞恥心を持つのかを研究している。

6.「読書における文の理解とワーキングメモリ」
小説に限らず様々な本を読むと単語を記憶しながら読み進めていくことが多々ある。特に小説だと人物や物象などを記憶しながら物語を読み進めるので、本章で取り上げられるワーキングメモリがいかであるかを知る必要がある。もちろん文章そのものを記憶すると言うよりも、文章を通じて単語やストーリーを連想していくと言うことがあるため、文字そのものを「記憶」とするよりも、むしろ想像として「記憶」していくということでワーキングメモリが働く。

7.「オノマトペ表現を愉しむ脳」
「ピカピカ」「キラキラ」「ガタガタ」など様々なオノマトペ表現が小説には存在する。もちろん国語では「感嘆詞」の一つとして挙げられるのだが、オノマトペ表現がいかにして読み手の感情を揺さぶられるのか、そのことについての考察を行っている。

本書を見てみると小説に限ったことでは無く、「本を読む」ということ、さらには言葉そのものに関する研究もあったのだが、基軸としては「小説」がいかにして感情を揺さぶられるのかを「脳科学」という観点から知る事ができる。ただ私の知りたかった「小説を愉しめる人」「小説を愉しめない人」の脳の違いについては、知る事はできなかったものの、小説がいかにして愉しまれているのか、というメカニズムを知る事ができる良い機会だったと言える。