コミュニケーション断念のすすめ

私自身ここ最近、人とのコミュニケーションを行う機会が少なくなってきている。もっともコミュニケーションと言っても人と人とが直接会話するようなものもあるのだが、他にもメールやSNSなどを用いて、間接的に行われるものもあるため、それを加味するとかなり多いとも言える。

とりわけ後者のやりとりが急速に増えてきたことから本書でいう「コミュニケーション過剰」が起こっているといえる。本書はその過剰なコミュニケーションのリスクを明かすとともに、コミュニケーション断念のすすめについて伝授している。

第一章「コミュニケーション過剰な日本」
もっとも私自身も「コミュニケーション」と言う言葉は知っていても意味はよくわからない。言葉のやりとりそのものであるが、実際には人と人との会話だけではなく、メールなどを用いてやりとりを行うことも挙げられる。それぞれアプローチも異なるし、TPOによってコミュニケーションの取り方も異なってくるので、そういう意味では「よくわからない」と表現している。
日本は「集団社会」といわれるだけあり、組織や集団というものを重んじる。そのためコミュニケーションが必要になってきて、場合によって「過剰」ともとれるようなやりとりも行われる。

第二章「「絆」の息苦しさ」
2011年を漢字一文字でたとえると「絆」となった。戦後最大の震災となり、約2万人もの人命を失い、多くの家屋・建物が破壊された。その中で「絆」が使われはじめ、あたかも「濫用」ともとられかねないほど多く使われた。しかしこの「絆」こそ、息苦しさの元凶になってしまっていると著者は指摘している。その理由としてマスコミのあおりだけではなく、「絆」を強制するような「空気」という見えない圧力を持っていることも挙げている。

第三章「バッシングの正体」
「バッシング」はメディアのみならず、様々な所で起こっている。本章では2012年にお笑いコンビ次長課長の河本準一氏の母親が生活保護を受給して問題になったことを取り上げている。もっと前になると本章では取り上げられていないものの、1999年から10年間以上、サイト上で大バッシングを受け続けたスマイリーキクチが挙げられる。
なぜメディアのみならず様々な所で「バッシング」が起こっているのか、それは日本人が重んじる「空気」が挙げられる。

第四章「コミュニケーションなき安全地帯」
日本人はつくづく流行に流されやすいと言える。かつては女性たちが韓流に流され、現在は男性がAKBに流され、そして昨年は「半沢直樹」や「あまちゃん」に流された。そういった流行の世界の中には、コミュニケーションの安全地帯が存在しているのだという。

第五章「「自分が否定されない世界」を確保しよう」
コミュニケーションには様々な種類があり、その中には「否定」ともとらえかねないこともある。本章では「否定」の被害にさらされないような対処法について伝授している。

私自身、色々な「コミュニケーション」に関する本を呼んだのだが、正直言って「コミュニケーション」と言う言葉自体が得体の知れないものである。トークにしても、伝え方にしても、話の聞き方にしても、手紙の書き方、もっと極端に言うと、メールの書き方やSNSのやりとりなど、コミュニケーションと言う言葉に包含することができる。それだけ相手とのやりとりのできるツールは増えてきているとともに、コミュニケーションの数も増えてきていることは間違いない。しかし、そういった状況の中でコミュニケーションは本当に必要なのかどうか、その考えに本書は一石を投じたと言っても過言ではない。

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