具志堅用高―リングは僕の戦場だ

具志堅用高と言えば、日本ボクシング界のレジェンドと呼ばれる存在である。先日具志堅はボクシング国際殿堂入りが決まった。もっともチャンピオンに輝き、13度に渡る防衛を記録し、日本ボクシング界の根幹を彩った。

その具志堅用高は元々不良として沖縄で名を馳せ、その後、ボクシングにのめり込み、世界チャンピオンに輝いた。本書は殿堂入りということもあるのだが、具志堅用高の人生を自ら綴った一冊を取り上げる。

第一章「石垣島のワンパク小僧」
具志堅用高は1955年沖縄県石垣島にて生まれた。少年時代の頃から本章のタイトルにあるとおり「ワンパク小僧」だった。野球をしながら、お金がないということで他人の家の果物をかっぱらうようなことを行っており、それが「不良」と言われる所以の一つだった。

第二章「ボクシングをやれ!」
それから興南高校に入学し、沖縄本土に渡り、ボクシングに出会った。そのきっかけは先生の一言と、先輩であり、生まれ育ったところでの友達がボクシングをやっていたこと、そして下宿先の人の一言により、ボクシングへの道を歩み始めた。

第三章「やるからにはチャンピオン」
入門して、ボクシングにのめり込みデビュー戦も勝利を飾った。当然、続けていくうちに負けることも何度もあった。その中で著者がもっとも惨めな負けた試合についても明かしている。負けた経験を力に変えて練習に励み、ついにインターハイ優勝も経験することになった。

第四章「金メダルか プロ入りか!?」
インターハイで優勝し、アマチュアボクシングの頂点となるオリンピック金メダルも現実味を帯びてきた。それを目指すような形で拓殖大学に進学することになった。その入学直前に、思いも寄らぬ転機が訪れた。協栄ジム創設者で初代会長の金平正紀との出会いだった。それから本章のタイトルのような選択に迫られた。それから金平会長の説得によってプロの世界に歩み始めた。

第五章「プロの世界」
プロデビューは昭和49年のことである。勝利はしたものの「判定勝ち」だった。それから戦いは続き、世界に挑むチャンスがやってきた。

第六章「挑戦!ファン・グスマン(ドミニカ)戦」
初めてのタイトルマッチはデビュー第9戦である昭和51年の時である。前評判はチャンピオンのグズマンが有利だったにも関わらず、KO勝ちを収め、チャンピオンに輝いた。

第七章「防衛」
チャンピオンになってからは、13度に渡る防衛ロードが始まった。本章ではそのうち最初の防衛戦から9度目の防衛戦に至るまでのことの思い出を綴っている。チャンピオンになってから、ボクシングに対する姿勢がどのように変化したのか、そして防衛を重ねていくたびの心境について克明に綴られている。

第八章「カンムリワシの青春」
なぜ本章に「カンムリワシ」が書かれているのかというと、具志堅が子供の頃から憧れられていた鳥だったことが挙げられる。そのことから具志堅の通称が「カンムリワシ」と言われるようになった。

「一度狙ったものは、絶対に逃がさない、カンムリワシの恐ろしいほどの執念。リングの中にいる時のぼくは、瞬間的に、カンムリワシになったような錯覚をすることがある」(p.176より)

そのような考えからチャンピオンになった理由の一つと回顧している。もちろんプロの世界を誘ってくれた金平会長へ、両親・兄弟へ、さらには具志堅用高を支えてくれた方々への感謝も綴られている。

様々な支えと、自分自身の闘争本能と執念で13度の防衛記録を作り上げ、そして、最初にも書いたとおり、今年は殿堂入りを果たした。その情熱を現在は後進の育成のために力を注いでいる。具志堅用高のボクシング人生は、まだまだ続く。