<できること>の見つけ方――全盲女子大生が手に入れた大切なもの

本書を取り上げる前に、どうしても取り上げなければいけないものがある。
それは今年の9月8日、埼玉県の川越駅で、県内の盲学校に通う全盲の女子生徒が何者かに蹴られ全治3週間の重傷を負った。ケガを負わせた犯人は後に逮捕されたが、犯人は軽度の知的障害者である事が明らかになった。この事件により様々なメディアで話題となったのだが、一つだけ看過できなかったのは「全盲少女にも非があったのでは?」という意見や心ない誹謗中傷があった。

これをなぜ取り上げたかったのか、それは本書の話に移るのだが、全盲の女子大生が、10代の頃、可能性について否定され、それでも「できること」を見いだし、壁を乗り越えてきたのか、石田氏自らの経験をもって生きやすい社会のあり方を提示している。

1章「私がいたら邪魔?」
著者は生まれて間もないときから眼球にできるがんにかかってしまい、視覚障害にかかってしまった。それでも盲学校に通ったり、視覚障害者のやっているスポーツに参加したりした。
しかし著者がひどく傷つき始めたのは高校生に入ってからのこと、生まれ故郷の和歌山を離れ、東京の盲学校に通うようになった。しかし環境の違う東京の事情に振り回された。そしてやりたいことが見つからないまま大学に進学しようとするのだが、その大学進学の話で石田氏の存在否定・人格否定され、打ちひしがれてしまった。また学校側からも猛反対され、四面楚歌の状態になったのだが、それでも大学を受験したいという思いは変わらず、押し通し、ようやく大学受験にこぎ着け、合格を果たした。

2章「自ら壁を作っていたかもしれない最初の一年」
大学に入学してからも様々な「壁」や「障害」がつきまとっていた。人間関係の他にもアルバイトなどで、やりたいことも、何か役立てることもできず、堕落していった。そんな石田氏にも転機が訪れた。フィリピンへのスタディーツアーだった。多くの子供たちとふれあう中で、自分自身の置かれている立場、そして本章のタイトルにあった「壁」の本質を理解しだした。

3章「みんなの「できること」を身につけたい」
フィリピンへのスタディーツアーが大きな転機となり、小さな成功を積み重ね、自信をつけることから始まった。大学内でも自分自身のできることを見つけ、積極的に参加してから、著者の心境は大きく変わった。そしてフィリピンへのスタディーツアーや留学も何度も行い、何度も壁にぶち当たり、失敗しながらも、さらなる可能性を見いだしていった。

4章「見方が変われば景色が変わる」
フィリピンの留学・スタディーツアーが終わってから、石田氏の見方が変わった。その見方が変わったことによって、1年休学したブランクがあっても、大学生活は楽しさを増していったという。そして大学生活の中で様々な親切や現状を知ることになった。

5章「誰にでもできることがある社会を求めて」
本章は著者の一人である西村幹子氏の所である。西村氏と石田氏は大学の教授・学生の間柄だけでなく、西村氏自身が、石田氏の大学に着任する前からメールのやりとりを行い、授業でも様々なやりとりを行うことによって親密になってきたのだという。西村氏自ら3年に渡って交流を続けてきた石田氏の印象と、これからのバリアフリー社会のあり方について考察を行ったのが本章である。

ハンディは確かに、マイナスな部分が多い。しかし石田氏のように、様々な可能性を見つけることができることもまた、一つの「強さ」である。もちろん国・市町村・人・企業など様々な立場からバリアフリー対策をたてていく必要があるのだが、それと同時に、ハンディを抱えている方々がどのようにして人生を見いだしていけばよいのか、本人もさることながら周囲も認知し、可能性をつかむ・与えていくことで本当の意味でのバリアフリー社会になるのかもしれない。そして石田氏のように壁にぶち当たりながらも成長している姿は他のハンディを抱えている方々の励みになる、そう思うと何らかのハンディを抱えている人はもちろんのこと、ハンディを抱えている人を周囲に持つ方々に読んでほしい一冊と言えよう。