ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

今日はクリスマス。クリスマスというとケーキを食べたり、ローストチキンやフライドチキンを食べると言うことがある。その為にスーパーやコンビニでは七面鳥や鶏肉などが使われるのだが、本当のところ人間と動物の関係はどうなのだろうか。クリスマスに本書を取り上げるのは良くないのかもしれないのだが、クリスマスに肉を食べると言うことを考えてあえて取り上げてみる。

第一章「人間と動物の相互関係をめぐる新しい科学」
人間が動物を「飼う」こともあれば、人間が動物を食べることもある。その中で人間が動物を「飼う」場合を取り上げているが、飼っている動物が飼い主に似ると言うこともあれば、動物に接する態度が、人に接する態度に反映するのか、科学的見地から考察を行っている。

第二章「かわいいのが大事―人間のように考えてくれない動物についての、人間の考え」
人間は動物に対してどのように考えているのだろうか、そして人間はなぜ飼う動物に対して人間のように考えないことについて不快に思ってしまうのか、そのことについて取り上げている。

第三章「なぜ人間は(そしてなぜ人間だけが)ペットを愛するんだろう?」
人間はペットを溺愛するような光景をよく見る。しかしペットを飼うのは人間だけで、それでいながら、無償の愛をあえ耐える。その原因についても取り上げているが、他にもペットを飼うことそのものが心的に癒しとなる要素と、デメリットについても考察を行っている。

第四章「友だち、敵、ファッションアイテム?人とイヌのいろんな関係」
イヌを飼う家庭もいくつかある。私自身散歩をしていると一番多いので6匹のイヌをつれて散歩をしている光景を見たことがある。ただ、本章は「イヌを飼う」と言うことについての根本的な理由について問いただしている。本章を読んでいくと、確かにイヌと人間の関係は一体何なのか考え込んでしまう。

第五章「「高校一の美女、初のシカを仕留める!」動物との関係と性差」
もちろん本章で取り上げられているのはアメリカの女子高生の話であるのだが、高校生でありながら、現役のハンターとして活躍しており、腕利きであるという。しかし、ハンターを行っている中でシマウマをしとめるシーンがあったのだが、その中でメスだったことについて激しく落ち込んだシーンがあった。そのことがきっかけとなって本章が生まれた。

第六章「見る人しだい―闘鶏とマクドナルドのセットメニューはどっちが残酷?」
「闘鶏」とは「鶏と鶏が戦う競技(Wikipediaより)」とある。闘鶏だけではなく、スペインや日本でも行われる闘牛、もしくは闘犬など動物同士で戦わせることについて動物愛護運動家は批判し、撲滅しようと運動を行っている(運動者にもよるが)。しかし闘鶏の他にも安価に使われるマクドナルドのセットメニューもあるのだが、果たしてどっちが残酷なのか比較を行っている。

第七章「美味しい、危険、グロい、死んでる―人間と肉の関係」
人間が肉を食べるのは、中には宗教的な理由、あるいはポリシー的な理由から、肉食をタブー視する方もいる。人間がいかにして肉を食べられるようになったのは、いつごろか、そのことについて取り上げている。

第八章「ネズミの道徳的地位―動物実験の現場から」
ネズミと言うとドブネズミのようにダークなイメージもあれば、モルモットのような実験動物として扱われることもある。本章では後者について取り上げている。

第九章「ソファにはネコ、皿には牛―人はみんな偽善者?」
人間と動物の関係は、色々な側面を持っている。ペットとして飼う側面、食肉として食べる側面、さらには実験動物にする側面がある。そういった関係を認めていることから、人間は「偽善者」なのではないかと疑う方もいる。そのことについて取り上げているのが本章である。

人間と動物の関係は複雑である。本書を取り上げただけでも、「ペット」「食」「実験」「競技」といったものが出てきている。他にも「神」としてあがめられている動物も宗教のなかにはある。本書を読んでいくと人間は動物に対してどう接したらよいのか、そのことを考えさせられる。しかしそれはおそらく読んでも解決しない。なぜなら本書でも取り上げたとおり一枚岩ではないのだから。