仕事休んでうつ地獄に行ってきた

北海道に住んでいる方であれば元UHB(北海道文化放送)アナウンサー、そしてそれ以外にも元NTV(日本テレビ)アナウンサーの側面があり、現在はタレント・フリーアナウンサーとして活躍している丸岡いずみ氏であるが、一時期体調不良になった時期があった。その「体調不良」の内容は本書のタイトルにもあるとおり「うつ」の症状があった。本書は著者の「地獄」とも語る「うつ」の体験について、うつになるまで、そしてなった後のことについてつづっている。

第1章「私、走りすぎちゃいました」
著者は大学を卒業してからUHBアナウンサーとなった。元々複数の会社から内定をもらっていたのだが、好奇心からアナウンサーになった。入社してしばらくしたときにライフワークの一つとなるひきこもりの取材を行った。そのひきこもりを行っている子どもたちの取材を通じての心境、そして北海道から東京にキャスター・記者として転職をしたエピソード、そして東京での取材活動、そしてディレクターやアシスタント・プロデューサーの体験、そして引きこもりの取材を通じて大学院に通って研究を行ったことなど、これまでのテレビ人としての経験をつづっている。

第2章「私、交感神経ビンビンでした」
著者の心境が変わる大きなきっかけとなったのは2011年3月11日。そう、東日本大震災の経験だった。著者はニュースキャスターとして、逐一伝える役割を果たし、震災翌日から、被災地の現地取材を行った。その後も取材を続けたのだが、著者の体力・気力は変調をきたしてしまった。

第3章「私、うつ地獄に行ってきました」
2011年8月29日
この日を境に著者の心境は大きく変わってしまった。体調不良となって、故郷の徳島の実家へ戻り静養し始めたのだが、それが週刊誌にすっぱ抜かれ、肉体的・精神的に消耗してし切ってしまった。
精神科の先生から処方についても言われたのだが、元々著者自身も引きこもりなどの研究で得た療法を見つけていたのだが、それが足かせになってしまった。「うつ」はさらに悪化し、ついに入院することになってしまった。

第4章「私、うつ地獄から帰ってきました」
その入院先で薬などを処方するようになってから、「うつ」は快方に向かっていった。翌年のはじめに退院したのだが、その際に友人・知人・元同僚をはじめ、かつて取材を行った方々から励ましの手紙やメールなどが届くようになった。いままでの人生の中で取材を通じて、出会った人の数だけ、励ましがあったと言える章と言える。

一言断っておくが、本書で取り上げているうつの治療は、あくまで著者本人が体験したことであり、人によっては著者の通りに治療しても治らない場合がある。とはいえ、著者自身が「うつ」を乗り越えて、どのような心境だったのか、体験した立場からつづられているが、特に第4章はうつの時だけではなく、今までの記者・アナウンサー・キャスターと走り続けた姿によって支えられた方々の姿があったような気がした。