コスプレというと昨年末に行われたコミックマーケットで行われたアニメやマンガキャラクターの扮装をイメージしてしまうのだが、それだけではない。学生など職業における「制服」もまた「コスプレ」と呼ばれるという。しかしそれは半強制的に着せられる部分もあれば、制服によって「その役になり切る」部分もあるのだという。本書は日本人の制服好きなのか、そして制服はどのような効用があるのか、そのことについて取り上げている。
第1章「制服会のクイーン、それがスチュワーデスの制服」
まずはスチュワーデス、現在で言えばCAの制服であるが、なぜ「クイーン」なのか、その一つとして「ブランド」や「PR効果」が挙げられる。着ることだけでも、その会社の社員であることなどのモチベーションにもなるという。他にも時代に合わせて制服が変化しているのだが、その変化の背景にはどのようなものがあるのかも取り上げられている。
第2章「OLの制服は、なぜ日本で流行るのか」
私自身会社勤めをしている時に女性社員が制服で働く姿もあったが、着ている人と着ていない人と様々である。OLの制服は日本以外にもあるのかというと、皆無であり、日本独特の文化であるという。それも流行しているというのだが、なぜなのか、それは日本に起こっている「思考停止」に深く関わっている。
第3章「ナースは「白衣の天使」じゃない」
「白衣の天使」というとナースが挙げられるのだが、これは「白衣の天使」という信仰がまねいた幻であるという。その信仰の起源となったのは、ナイチンゲールが挙げられるのだが、元々は教会の奉仕女性が白衣だったのである。
第4章「セーラー服は、究極のコスプレである」
女子中学生、女子高生が着る制服に「セーラー服」がある。元々セーラー服は英国海軍の制服であることは周知の事実であるが、元々英国で18世紀後半に子供服に取り入れられ、一大ブームを起こし、女性にもつくられるようになった。その女性につくられるようになったものが日本に輸入され、現在のように親しまれるようになった。
第5章「強制されない疑似制服」
疑似制服は最初に書いたようなアニメ・マンガのコスプレではなく、強制ではないのだが、面接などの際に使われるスーツのことを表している。代表的なものとしてリクルートスーツが挙げられる。「強制されない」にもかかわらず「暗黙の了解」として使われているのか、そのことについても分析を行っている。
第6章「思考停止力を逆手に取る制服パワー」
しかし制服には第2章でも書いたのだが「思考停止」の要素をはらんでいる。しかしその思考停止を逆手にとって売り込みの要素としているところも存在するという。
第7章「制服ニッポンよ、どこへ行く」
今も昔も日本では「制服」を使っている。それは学校・職業それぞれに適応したものであるのだが、それぞれどういった方向に向かっているのか、それについて憂慮している。
「制服」が蔓延している中で日本は自由を手にするべきかというと、必ずしも言えない。制服があることによって職業が認知され、そして購買につながる要素にもなっている。そのことから制服には善悪双方の面は存在するのだが、これからどのような方向でいきるのか、それは定かではない。
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