今からちょうど20年前の1995年はどのような時代なのかというと、本当の意味で「色々」あったと言える一年である。私はちょうど10歳であるので、小学4年生だったが、自分自身でも色々あった1年だったことを回想してしまう。
しかし本書は今から20年前に起こったこと、そしてどのような時代だったのかということを取り上げているのだが、色々なところで「転機」となったと著者は分析をしている。
第1章「政治―ポスト55年体制の誕生」
1993年の衆議院総選挙後に、非自民連立政権が誕生し、1955年以降長らくあった「55年体制」が崩壊したきっかけとなった。しかしそのわずか9ヶ月後に自民党は政権に復帰する。かつてライバルだった日本社会党、新党さきがけを与党に組み入れ、「自社さ政権」となった。そのときに首相に担がれたのは村山富市である。社会党は55年体制では憲法の改正要件である「3分の2」に届かせないために野党第一党として存在したのだが、1993年になってから与党のキャスティングボートを握ることになった。しかしそのことが社会党を崩壊する事につながってしまった。その理由としては当時社会党としてあった「反安保」「反自衛隊」という旗を降ろしたことにあった。社会党は1996年に解党し「社会民主党」になった。
第2章「経済―失われた20年の始まり」
経済としては1990年代からは「失われた20年」という低成長時代に入っていった。この1995年には円高が著しく、一時1ドル79円75銭にまでなった。この記録は後に2011年10月31日早朝に1ドル75円32銭にまでなった「超円高」と呼ばれるまで長らく続いたのだが、この円高がきっかけとなり金利や公定歩合が引き下げられるなど、本章のタイトルにある「失われた20年」の象徴となるような出来事が次々と起こった。
第3章「国際情勢―紛争とグローバル化の時代」
国際情勢で起こったことは大きく分けて2つある。一つは中東情勢で、アメリカの仲介による「オスロ合意」が調印されたこと、もう一つは現在流通されている通貨「ユーロ」が制定されたことにある。
第4章「テクノロジー―インターネット社会への転換」
テクノロジーとして大きな変化があったのは1995年といっても過言ではなかった。そのきっかけがWindows95の発売である。この発売により、パソコン店や家電量販店では行列をなしていった。このOSがインターネットをより身近なものにしていき、今のような時代の礎となっていった。他にも秋葉原は現在ではサブカルの聖地として挙げられているが、かつては「電脳街」と呼ばれていた。その象徴がWindows95発売による行列である。
第5章「消費・文化―オカルトと自己喪失の世界」
このときに放送されたもので、現在でも根強い人気があるものとして「新世紀エヴァンゲリオン」がある。このときはテレビ東京系列で夜6時30分に放送されており、私も視聴したことがあるのだが、後に社会現象にまでなるとは夢にも思わなかったことを今でもはっきりと覚えている。このエヴァンゲリオンで表されたのが「自己喪失」である。
そして「オカルト」は「脳内革命」という本がベストセラーとなったことにある。この本により「自己啓発」という分野が誕生し、そこからビジネス書という分野が生まれ現在に至る。
第6章「事件・メディア―大震災とオウム事件のあいだ」
日本にて1995年に起こった印象的な出来事として「阪神・淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」が挙げられる。前者は関西で最大の大地震が起こり、約6500人もの尊い命が失われてしまった。
後者は世界初となる一般市民を対象にした、化学兵器による無差別テロ事件として日本のみならず世界中が震撼した事件として挙げられている。この事件がきっかけに一連のオウム事件が連日のように取り上げられ、ワイドショーでは「オウム」一色になった。
1995年は印象的な出来事がたくさんあったのだが、それから20年たった現在、それが引き金となったことは少なくない。最も小学4年生だった私も、印象的に残った事件はたくさんあった。連日新聞やテレビのニュースを見ることがあり、今でも1995年の出来事は昨日のことのように覚えているものばかりである。そのことをフラッシュバックさせたのが本書といっても過言ではない。
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