「すみません」の国

相手に対して謝るときの「ごめんなさい」というが、ほかにも「すみません」ということもある。しかしその「すみません」は謝るときに使うだけでなく、どこの場でも使われてしまう。人によっては「すみません」という言葉が口癖になってしまっている。また人によっては必ず枕詞に「すみません」をつける人もいる。しかし受け手のほうでは「ちゃんと誤っているのか」と思ってしまうなど感情を逆なでしてしまう人も少なくない。

その「すみません」のほかにもあいまいな表現にしてしまう日本語も往々にして存在する。本書はそんなあいまいで、なおかつわかりにくい日本語について取り上げている。

第1章「蔓延する「すみません」」
「すみません」のほかにも「いえいえ」というように感謝を受ける際につい条件反射のように飛び出してしまう言葉も存在する。それらの言葉の意味は形式ばった「陳謝」や「謙遜」である。この「形式ばった」というのが肝心であり、「とりあえずこれを言っておけば形になるだろう」というような思いが存在する。それが「いえいえ」や「すいません」と日本人に蔓延している風潮にある。ほかにも「空気」というのも要因として挙げられるが、これは第5章にて詳しく取り上げる。

第2章「日本語は油断ならない」
日本語には「ひらがな」「カタカナ」「漢字」などがあり、表現も多岐にわたる。しかしその多岐にわたる表現であるがゆえに、玉虫色の答えとなるような表現もすくなくない。言葉によっては「イエス」「ノー」ととらえかねない「油断ならないような言葉」も数多くある。例えば「結構です」という言葉も否定的に使われることが多いが、時と場合、そして人によって肯定的に使われることがある。ほかにも「わかりました」や「それはいいですね」といった言葉も存在する。

第3章「言いたいことは言わない日本」
日本は「ホンネ社会」、欧米では「タテマエ社会」と言われることがある。しかし日本人でも言いたいことを言わない風潮がある。それに対して欧米ではこれでもかというくらい自己主張し、さらに簡単なものでも積極的に「質問」をする。対して日本人はあまり「質問」を好まない。
ほかにも会議についても、必要に応じて合理的に進める欧米に対し、形式的でなおかつ無意味な会議が横行している日本といった違いが挙げられる。

第4章「いやらしさの裏側」
「いやらしさ」というと何やら卑猥な表現を想像してしまうのだが、本章で言う「いやらしさ」は誘うような言葉(もちろん性的な意味ではない)であったり、気を使う言葉であったりさまざまである。

第5章「空気が国を支配する」
日本という国は「空気」で支配されていると言っても過言ではない。2006年あたりに「KY(空気が読めない)」という言葉が出てき始め、ネットなどで広がっていった。その要因として「世間」であったり、「集団」であったり、「組織」という言葉を重んじる日本人の特性が存在することにある。その「空気」が「権力」そのものであるという。

第6章「ホンネに敏感な日本、タテマエ主義の欧米」
日本人はホンネかどうか気にする傾向にあり、欧米はタテマエで割り切ってしまうのだという。その違いがあるのは日本人と欧米人とのやり取りによって判るという。その理由は欧米人が主張すると日本人がもやもやしてしまうところにあるという。

「すみません」をはじめ、日本語には曖昧な表現をするようなものが多い。その要因には日本人のホンネを隠す、あるいは集団という名の空気から生まれた産物とも言えるのかも知れない。本書の様に曖昧な表現を多く集め、そういった日本語の成り立ちに関する本もあった方が良いのかも知れない。

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