優柔不断は“得”である~「人生の損益分岐点」の考え方

「優柔不断」というと、「スピード社会」と呼ばれている世の中では負の側面が強い。しかし著者は逆に即断即決はむしろ「決めつけてしまう」というリスクも孕んでいるのだという。そのことを踏まえて優柔不断はむしろ自分の人生を熟慮する上で「得」なのだという。ではどのような形で「得」になるのか、本書のキーワードとして「人生の損益分岐点」が挙げられている。

第1章「「人生の損益分岐点」を考えてみる」
「損益分岐点」は会計用語で「損でも得でもない」所である。どのように算出されるのかというと、

「売上」=「費用」

となる所にある。それ以上売上が伸びれば利益だし、それを下回ってしまうと逆に損失になる。
では、著者が提示する「人生の損益分岐点」とはどういうものなのか、会計の「損益分岐点」がお金とするならば、人生の場合は「時間」と「達成度」でもって計算される。何をもってして「達成」となるのか、それは自分自身の「理想」や「目標」と言ったものがある。

第2章「自分に合った「フォーム」を見つける」
野球の世界では投手・打者それぞれに「フォーム(型)」が存在する。フォーム自体は野球に限らず、仕事においても同じことが言えるのだが、それが見つける・見つからないで大きな違いが生じてしまう。本章では企業・個人にかかわらずフォームを見つけた人々をピックアップしながら「フォーム」を見つけ、持つ事の重要性について説いている。

第3章「意思決定の局面は焦るべからず」
人生において色々な所で「選択」に迫られる場面が数多く存在する。その中で選択をする事は今後の人生に大きく影響を及ぼし、なおかつ仕事における「決断」をする力にもなる。しかし重要な局面であればあるほど即断即決をして行く必要があるのかも知れないが、第5章で詳しく述べるのだが、「決めつけ」に至ってしまうことにもなりかねない。そこで「人生の損益分岐点」を使うことによって熟慮をする事が必要であるという。

第4章「先延ばしのすすめ~私の「人生の損益分岐点」~」
著者は「人は見た目が9割」という大ベストセラーを生み出した一方で、阿佐田哲也をモデルにしたマンガ「哲也 雀聖と呼ばれた男」を「さいふうめい」名義で世に送り出した人物である。しかし本書の帯に書かれているが、40歳までは「超ワーキングプア」と呼ばれる程おそろしく貧しい生活を送っていたのだという。
元々著者は演劇にのめり込み、大学では演劇とバイトの二重生活を送っていた。しかし「人生設計」は描いておらず、理想と現実についてあまり分からない状態だった。結婚も成り行きで行い、ある種「ヒモ」のような生活も送っていたという。それからして劇作家・演出家としてのチャンスを掴み、阿佐田哲也の言葉に触れたことによって、著者の人生は大きく変わっていった。今となっては劇作家・脚本家だけではなく、マンガ原作者・大学教授・作家などいくつものわらじを履くようになった。
著者の「人生の損益分岐点」とは何か、それはおそらくマンガ原作者や作家になる転機となった所にあるのかも知れない。

第5章「決めつけない生き方」
人生において「こうあるべきだ」や「自分はこう言う人間だ」というのは人生における「視野」が狭くなっているといっても過言ではない。また今の境遇についても一喜一憂をしていてもこの先の人生はどうなるか分からないのだからそれも良くない。
だとしたらどうしたらよいのか、どんなに成長している人でも必ず下り坂がある。どんなに落ち目の人生をしている人でも必ず上り坂がある。それは歩いていては気づかなくても立ち止まった時に気づくこともある。自分自身で人生を決めつけず、自分自身のフォームを見つけ、持ち続けることによって、長い人生を歩んでいった方が良いことを説いている。

「私は勝ち方を教えることもできなければ、負けない方法を教えることもできません。
 この本一冊を書けて、「せめてミスを防ごう」と言っているだけに過ぎません」(p.198より)

本書はあくまで早計に物事を決めつけてしまい、人生を棒に振ることを防止してしまうための警鐘を鳴らず、あるいはブレーキを担う一冊であるという。人生は一度きりである。その人生を「間違えない」ということも大事であるが、もっとも自分自身の「フォーム」とは何かを探し続けることもまた人生であるという。本書は自らの人生でもってそのことを伝授している。