時間はなぜ取り戻せないのか

人は誰しも「過去に戻りたい」「時間を戻したい」という状況が何度かある。しかし実際は過ぎ去った時間を戻すことはできない。しかしなぜ「時間」を戻すことができないのか、それを科学的な見地から考察を行った事はなく、むしろ「哲学」の見地から取り上げたことは何度もあった(当ブログでも「時計の時間、心の時間」という本を書評したことがある)。

そこで本書である、本書は物理学の分野から時間の起源はどこにあるのか、そして本書にある時間が取り戻せない理由について迫っている。

第1章「主観なしに宇宙は語れない」
科学、その中でも物理学における考察において「対象(実在)」と「人間(主観)」の相互作用によって語られる。主観がなければその視点を元に物の移動や本章のタイトルにある宇宙がどのように動くのかを測ることができないため、主観と対象が置かれている。

第2章「もろい秩序が生命を可能にする」
時間の流れは何も自分自身の「主観」によって語られるわけではない。私たちが感じている時間もあれば、対象物自身が流れている時間も存在するという。本章ではそれについて科学的に考察を行っているが、元々の主題が哲学において問われているものであり、科学的な見地から取り上げられるのは珍しい。

第3章「物理法則を超えて共鳴するシステム」
第1章で述べた「主観」はあくまで哲学用語ではなく、考察の対象として「自分」を置き換えているに過ぎないのだが、本章ではそれ自体が科学の対象とならないことについて取り上げている。その時点で考察の前提条件が崩れてしまうのだが、その根拠についても取り上げられている。

第4章「相対論とミンコフスキー時空」
「時間」と「物理」の関係性について有名なものとしてアインシュタインの「相対性理論」が挙げられるのだが、他にも「ミンコフスキー時空」がある。「ミンコフスキー時空」とは、

「四次元空間の時間座標を実数とし,時間距離を負にとった時空。時間軸を縦軸,空間軸の一つを横軸にとって事象を表す図をミンコフスキーの時空図という」「大辞林 第三版」より)

とある。アインシュタイン以前にも「相対論」という形でガリレイ・デカルト・ニュートンらが物理学的に検証を繰り返してきたのだが、本章では「時間」と「物理(空間)」についての関係性についての考察の歴史を取り上げている。

第5章「空間としてのシステム、時間としての主観」
本章では「ミンコフスキー時空」の中における時間の流れについて「空間」「時間」の関係性、及び因果について取り上げられているが、「ミンコフスキー時空」についてある程度理解しておかないと難しい所である。

第6章「時間の流れと主体的意思」
時間の流れはどこから生じ、どこまで流れていくのか本章では「エントロピー増大の法則」などを元に取り上げられている。

ただ、「時間」と「物理」と言うことを取り上げるとなると「タイムマシン」が浮かんでくる。もちろんタイムマシンのことについて科学的に取り上げられた本も存在するのだが、時間と物理は関連性が深い。しかしどのように深いのか、そしてどのような実験・法則があるのかというのはなかなか知る事ができなかったのだが、本書はそれを補ってくれる一冊と言える。