日本人の耳をひらく―聴覚がもっている不思議な力

本書の帯に「繊細で鈍感な日本人の耳」とあった。確かに日本人は繊細な音を愛する部分もあれば、大音量の場所もある。その二面性を持っているのだが、その日本人の「音」に対する文化や思想とはどのような道を辿っていったのか、正直言って知りたいと思い、本書を手に取った。

第1章「日本人の耳問題」
「音」は耳の「振動」が見えない形となって表われたものである「音」とひとえに言っても様々なものがあり、ピアノなどの楽器から奏でる音、さらには車などから出てくる音、川のせせらぎなどの自然音など「音」には様々なである。もっと言うと音によっては安心するものから、不快な思いをさせるような音も存在する。
他にも携帯やCDなどの機械から出てくるお供あるのだが、そrが日本人にどのような影響を与えるのかについても取り上げている。

第2章「間違いだらけの音楽教育」
「音楽教育」といっても、演奏することもあれば、音楽を聴くのもまた教育の一つである。その教育のあり方について取り上げられているのだが、中でも吹奏楽についても言及している。その理由として著者自身も吹奏楽部を指導した経験があり、その指導した中でもエピソードも盛り込まれている。その中で一つ期になったところがある。

「つい15年ほど前まで、文化部の花形だった吹奏楽は、今や下火になっています。
 その一番の原因は少子化です。生徒数が減ってしまって、50人の編成が組めないのです。
 なぜ50人の編成でなければならないのか。それは、50人という数字が、コンクールの基本フォーマットだからです」(p.111より)

これは「全日本吹奏楽コンクール」における編成のフォーマットのことを表している(ただし50人は中学の場合。高校の場合は55人)。ちなみにこれは上限人数であり、指導者によってはその上限でなければならないと考えている方もいるのだが、規定人数から大きく下回る人数で全国に出場しているケースもある。また、私見であるが、少子化により、吹奏楽部員が集まりにくくなっている状況なのは事実だが、これも学校によりけりで、学校によっては100人~200人以上いる吹奏楽部も存在する。もっと言うと最近ではTV・ラジオで大いに取り上げられていることから、下火になったとは言い難い。ただ学校によって部員数の差が大きくなっているのはある事から、そのことを憂いての「下火」と表現したのかも知れない。

第3章「日本人の母国語リズム支配を知る」
言葉を学ぶ際にも「音」はなくてはならない存在である。音と共に覚え、言葉を覚えるかである。その言葉における「音」には「母音」「子音」もあれば、イントネーションなどもある。そういった「音」の変化はもちろんのこと、リズムも存在しているのだが、日本語独特の音・リズムの特徴とは何か、そのことについて取り上げられている。

第4章「耳から始める新生活術」
生活の中で「耳」を使う機会は多くなる。そこでどのようにして耳を使っていけば良いのか、言葉から動作にいたるまでの方法を紹介している。

日本人に限らず、人は「音」と密接している。しかし「音」の接し方にしても、受取り方にしても日本人と外国人とで異なる。そのことを考えると日本人独特の「音」の接し方を知ることは必要になってくる。その「知る」上で必要な事が本書に詰まっている。