わたしはレンタルお姉さん。

ニュースで「レンタルおじさん」や「レンタル彼女」なるものが出てきている。実際にそういった交流を渇望している方々が求められているのだが、本書で取り上げられる「レンタルお姉さん」は少し異なる。「レンタルお姉さん」はニートや引きこもりの方々とコミュニケーションをとる事によって社会復帰を促すという、いわゆるカウンセラーのような存在であるのだが、カウンセラーではなく、あくまで「お姉さん」という立場から多くのニートに関わってきた。本書はなぜ著者が「レンタルお姉さん」を始めたのか、そしてその中でニートはどのような存在だったのか、そのことについて綴っている。

PART1「わたしが出会ったニートの素顔」
著者は元々公共団体の職員を経てホステスを務め、その後「レンタルお姉さん」となった。ちなみに「レンタルお姉さん」は著者単独で行っているわけではなく、若者の再出発を支援するNPO法人の中で活動しており、著者はその中心的な役割を果たしている。
レンタルお姉さんの活動の中で数多くのニートと関わってきたのだが、ニートというと「やる気がない」「無気力」のイメージがあるのだが、実際はそうでは無く十人十色で、過去のことから引きこもりになってしまい、社会との接し方が分からずに「働けない」という方もいれば、あまりにも完璧を求めすぎてしまい、心が折れ、社会からフェードアウトしてしまうという人もいる。

PART2「ニートとその親たち」
ニートになる要因は本人ばかりではない。親など身近な人が要因となって作ってしまうケースもあるのだという。親が子どもにかける期待もあれば、親が子どもに対する接し方によって、ニートの引き金になってしまうのだという。

PART3「人を癒すことのできる仕事」
著者が「レンタルお姉さん」の仕事を一言で表すとしたらどうなるのかというと、本章のタイトルになるのだという。その理由にいて、ニートを始めとした様々な出会いを元に綴っている。

PART4「楽な気持ちで生きようよ」
ニートと接していく中で、「生きづらい」のではないかという考えに至っている。もちろんニートはやりたくてニートにやっている訳ではなく、いつまでもそれを続けたいわけではない。そこから脱するためのきっかけとして決して完璧にならず、「オール・オア・ナッシング」にならず、トラブルを恐れずに生きていくことが大切であるという。

「レンタルお姉さん」という存在は初めて聞いたのだが、その存在は「レンタル彼女」や「レンタルおじさん」以前から存在していた。しかも、「レンタルお姉さん」とニートの関わりによって、隠されていたニートの悩み・苦しみが浮き彫りになっていった。今ニート人口は数十万人いるのだというのだが、それが根本的に解決して行くにはレンタルお姉さんの存在も必要なのかも知れない。