音楽を愛でるサル – なぜヒトだけが愉しめるのか

音楽を楽しめるのはヒトだけと言われているのだが、実際に家畜にモーツァルトなどの音楽を聴いて、肉の質を良くするという話があることを考えると、本当に音楽はヒトだけが楽しめるものなのかということを勘ぐってしまう。とはいえ動物は音楽を奏でたり、いろいろな音楽を知ったりと楽しむことができず、先ほどの音楽を聴く家畜も耳から得られる信号でしかないとも考えられる。本書はなぜ「音楽は人類特有のもの」かについて人類の歴史・音楽の歴史とともに紐解いている。

第一章「九九は算数ではない」
最初は音楽と言うよりもむしろ算数の話になってしまうのだが、実際に九九は計算と言うよりも、式と答えを暗記・暗唱するような形である。計算科目というよりも暗記科目であるため、本章にある命題は正しいと言える。
しかし本書は「ヒト」と「音楽」の話であることを考えると、関係ないのではと疑問に思ってしまうのだが、本章は暗記のことを言っているわけではない。九九に対する理解について、韻を踏む、あるいは七五調など「リズム」が存在しているのだという。

第二章「オペラ座のサル」
「オペラ座の怪人」をもじってタイトルにしたのかもしれないが、そもそもサルに音楽性を持っているのか、そのことについてのある実験を行っている。音楽性の本質を説明しつつも、サルの鳴き声にどのような効果があるのかなどについても検証している。

第三章「ニホンザルのイモ洗いは文化ではない」
人間をはじめとした動物には「学習する」というものがある。その学習はニホンザルにおける「イモ洗い」にも存在するのだが、なぜそれが「文化」となっているのか、本章ではその成り立ちと反証、そして「学習する」役割の一つである「教える」ことについて取り上げている。

第四章「サウンド・オブ・サイレンスの進化」
本章ではアフリカのとある地域を取材しながら、動物・人間の「沈黙」と「音」について取り上げている。同時に今当たり前のようにある「ながら族」と呼ばれるものについても言及している。

第五章「歌から器楽曲へ、あるいはメロ先はなぜやるのか」
「メロ先」とは、

「歌を創作するにあたってメロディーをまず作曲し、そののちそのメロディーに合わせて詩を作ること」(pp.140-141より)

という。日本に限らず、世界的にもスタンダートであるのだが、元々は日本にて存在したのだが、数十年という時間をかけてグローバル化し、世界的に流行していったのだという。本章ではその原因について迫っている。

第六章「モーツァルトの不思議」
モーツァルトの音楽と言えば、クラシックファンに限らず、様々な場にて親しまれている。最初にも書いたのだが、家畜にモーツァルトを聴かせるということも行われているほどである。その理由として他の音楽とは違い「α波が出る」ということを聞いたことがあるのだが、真偽は不明である。しかしモーツァルトが愛されるのには何らかの「不思議」が存在する。その不思議について実験を行っているのが本章である。

第七章「音楽療法の可能性」
音楽療法は外的・内的な治療にも使われているのだが、それについて心理学的な観点の実験から可能性を見いだしているのが本章である。

最近音楽は「愉しむ」だけではなく、「使う」もしくは日常生活に「寄り添う」という役割を担っている。もちろんそれは人間特有のものと言え、他の動物はそういったことができない。おそらくそういったことができるようになったのは人間独特の進化がそうさせている、そのことを本書でもって証明している。

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